卒業しても働けない。高次脳機能障害の大学生に逸失利益1億円超を認めた判例 #裁判例解説
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「これは脳挫傷による高次脳機能障害です。処理能力が著しく低下し、雇用される可能性は乏しいと言わざるを得ません」
医師の診断書を手にした父親は、言葉を失った。事故当時19歳、大学1年生だった息子は、自転車で通学中に車と衝突し意識不明の重体に。一命は取り留めたものの、人格が一変してしまった。
「大学を卒業できたではありませんか」保険会社側は労働能力の喪失を否定した。しかしそれは、家族の献身的な介護と大学側の特別な配慮があってこその結果だった…。
※大阪地判平成19年9月26日(平成17年(ワ)第8494号)をもとに、構成しています。
<この裁判例から学べること>
- 就労前の大学生でも、大学卒業の蓋然性が高い場合には大卒平均賃金を基礎収入として認められ得る
- 特別な配慮の下での大学卒業は、一般的な就労可能性とは別に評価される
- 高次脳機能障害では、社会適応性の欠如が労働能力喪失の判断において重視されることがある
交通事故による高次脳機能障害は、外見からは分かりにくいものの、被害者の人生を根底から変えてしまう深刻な後遺障害です。
特に若年者が被害に遭った場合、将来得られたはずの収入をどう評価するかが大きな争点となります。
今回ご紹介する裁判例は、19歳の大学1年生が交通事故で重度の高次脳機能障害を負い、労働能力の100%を喪失したと認定された事例です。
裁判所は、大卒平均賃金を基礎収入として、逸失利益だけで1億円を超える損害賠償を認めました。
この判決から、若年被害者の将来の可能性をどう評価すべきか、高次脳機能障害の労働能力への影響をどう判断すべきか、重要な示唆を得ることができます。
目次
📋 事案の概要
今回は、大阪地判平成19年9月26日(平成17年(ワ)8494号)を取り上げます。
この裁判は、自転車に乗っていた大学生と普通乗用自動車が衝突し、大学生が重度の高次脳機能障害を負った事案です。
- 原告:当時19歳の男子大学1年生とその家族(父、母、兄)
- 被告:加害車両の運転者と保険会社
- 事故状況:片側1車線道路で、自転車で走行中の被害者に後続の普通乗用自動車が追突
- 負傷内容:頭部外傷(脳挫傷、急性硬膜外血腫、外傷性くも膜下出血、頭蓋骨骨折)。事故直後の意識レベルはJCS300(痛み刺激に反応しない最重症状態)。86日間の入院治療後、リハビリセンターに転院し、さらに165日間入院。症状固定時(21歳)には後遺障害等級2級3号相当の高次脳機能障害が残存
- 請求内容:被害者本人が約1億7600万円、家族が固有の慰謝料として合計約1200万円を請求
- 結果:裁判所は被害者本人に約8400万円、家族にそれぞれ慰謝料を認容(父・母各192万円、兄38万円)※請求額と認容額の差は、過失相殺・否認項目等による
🔍 裁判の経緯
「息子が大学に入学したばかりの7月、朝、自転車で大学に向かったんです」母親は当時を振り返った。
「病院から連絡があって駆けつけると、意識不明で…医師からは『痛みの刺激にも反応しない状態』と説明されました」
息子は緊急の開頭手術を受けた。事故から10日間は刺激しても覚醒しない状態が続いた。
「徐々に意識が戻ってきたときは嬉しかったのですが、何かが違う。別人のようになってしまって…」
兄は仕事を辞めて、弟の介護に専念した。「気管切開部のカニューレを自分で抜こうとするんです。24時間、目が離せませんでした」
約3か月の急性期治療の後、リハビリテーション専門病院に転院。さらに約5か月半の入院リハビリを経て自宅に戻った。
「身体は動くようになりました。でも性格が全く変わってしまって。感情の起伏が激しく、突然怒り出したり、家族に殴りかかってきたりすることも…」
事故から約9か月後、息子は大学の2年生に復学した。
「私が授業に同行して講義を録音し、何度も聞かせました。レポートを代筆したことも。大学側も試験時間を延長したり、出席点とレポートで評価してくださったり…」
家族の支援と大学の配慮により、息子は平成17年3月に大学を卒業した。しかし就職は不可能だった。
「アルバイトの面接を何度も受けましたが、全て断られました」
保険会社は「大学を卒業できたのだから、労働能力は残っている」と主張した。「家族が24時間体制で支え、大学側が特別に配慮してくださったから卒業できただけです。一般企業で働くことなど、とても無理なんです」
※大阪地判平成19年9月26日(平成17年(ワ)第8494号)をもとに、構成しています。
⚖️ 裁判所の判断
判決の要旨
裁判所は、原告について労働能力を100%喪失したと認め、大卒平均賃金を基礎に逸失利益として1億円を超える額を算定しました。
その上で、過失相殺等を踏まえ、被害者本人に対する最終的な損害賠償額を約8400万円と認定しています。
また、事故後に大学を卒業している点についても、家族や大学側の特別な配慮による結果にすぎないとして、就労可能性を否定しました。
主な判断ポイント
1. 労働能力喪失率100%の認定
裁判所は、被害者について労働能力を100%喪失したと認めるのが相当であると判断しました。
その根拠として、症状固定時の全体性知能指数が63と基礎的な処理能力が著しく低い水準にあることが重視されています。
さらに、事故から2年以上が経過しても顕著な改善は認められず、こうした状態が固定化している点も考慮されました。
主治医は、以下の点を指摘しています。
- 計画的な行為を遂行する能力や、複数の作業を並行して処理する能力が著しく低下していること
- 社会適応性に障害があり、対人関係の形成が困難で、感情面でも爆発的な反応が見られ、家族の対応が困難な場面が多いこと
被害者は大学を卒業していますが、母親による授業同行や講義の録音、レポートの代筆、大学側による試験方法等の特別な配慮があって初めて可能となったものと裁判所は判断しています。
さらに日常生活においても、ガスコンロの消火を忘れる、外出先で突然走り出すなどの行動が見られ、常時の監視を要する状態にあると評価しました。
その上で、アルバイト面接においても採用には至っておらず、実際の就労可能性は認められないとしています。
これらの事情を踏まえ、裁判所は「現在の社会状況の下で原告が労働者として雇用される可能性は乏しい」とし、労働能力喪失率100%を認定しました。
保険会社側の「随時の指示があれば就労可能」との主張は退けられています。
2. 基礎収入に大卒平均賃金を採用
裁判所は逸失利益の算定にあたり、平成15年賃金センサスに基づく大卒男性の全年齢平均年収(裁判例で約658万7500円とされた値)を基礎収入として採用しました。
事故当時は大学1年生でしたが、当時の状況から大学卒業の蓋然性が高く、実際に卒業していることも踏まえ、大学卒業を前提とした基礎収入の採用が相当であると判断しています。
3. 中間利息控除方式はライプニッツ方式
原告側は、中間利息控除にホフマン方式(単利計算)を採用すべきと主張しましたが、裁判所はライプニッツ方式(複利計算)を採用しました。
その理由として、裁判所は次の点を挙げています。
- 現在では、資本を複利で運用することが一般化している
- ホフマン方式を用いた場合、就労可能年数が長期に及ぶ事案では、不合理な結果を招くおそれがある
- 損害賠償額の算定について統一的な処理を行うことが、被害者間の公平の観点
これらを踏まえ、裁判所はライプニッツ方式による算定を相当と判断しました。
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👩⚖️ 弁護士コメント
若年被害者の逸失利益算定における重要判断
本判決の重要な意義は、就労前の大学生について、将来大学を卒業する蓋然性を認め、大卒平均賃金を基礎収入として採用した点にあります。
若年者の逸失利益算定では、就労実績がないことを理由に基礎収入が低く評価されがちですが、本判決は将来の収入可能性を適切に評価しました。
また、被告側の「大学を卒業できたのだから労働能力は残っている」との主張に対し、裁判所は、特別な配慮の下での大学卒業と、一般企業での就労可能性とは別問題であると明確に区別しています。
社会適応性や突発的問題解決能力の低下、全体性知能指数63という客観的指標を踏まえ、雇用される可能性は乏しいと判断した点は、実務上も重要です。
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実務上の留意点
高次脳機能障害事案で労働能力喪失率100%を主張するには、次のような点を具体的に立証することが重要となります。
- 神経心理学的検査等による医学的証拠
- 日常生活における問題行動や介護の実態
- 就労への具体的試みとその結果
- 大学等における特別な配慮の具体的内容
後遺障害等級にとどまらず、「なぜ就労が困難なのか」を裁判所に理解させる立証が不可欠です。
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逸失利益の算定方法
逸失利益とは、後遺障害がなければ将来得られたはずの収入を指します。

学生など就労前の若年者の場合、事故前の実収入がないため、賃金センサスの平均賃金が基礎収入として用いられます。
本判決では、事故当時大学1年生であったものの、大学卒業の蓋然性が高いとして、大卒平均賃金が採用されました。
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日常生活上の問題行動が就労能力評価に与える影響
高次脳機能障害では、歩行や食事などの基本的な動作が可能であっても、判断力や感情のコントロールが低下し、計画的な行動や状況に応じた対応が困難となる例が少なくありません。
火の管理を忘れる、突発的な行動に出るといった問題行動が継続する場合、日常生活や社会生活において安定した行動を維持できない状態に陥りやすくなります。
このような状態は、自賠責保険上、「神経系統の機能又は精神に著しい障害を残すもの」として、後遺障害等級2級3号に該当すると判断されることがあります。
本件でも、被害者には日常生活上の問題行動が継続して認められ、裁判所はこれらの生活実態を踏まえ、通常の社会生活への適応が困難な状態にあるとして、後遺障害等級2級3号相当と認定しました。
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🗨️ よくある質問
Q1:大学生の場合、なぜ全学歴平均ではなく大卒平均賃金が認められたのですか?
A1:本件では、事故当時大学1年生で、3年後には大学を卒業する蓋然性が高かったこと、実際に大学を卒業したことが考慮されました。
ただし、すべての大学生に大卒平均賃金が認められるわけではなく、卒業の蓋然性や個別事情により判断されます。
Q2:高次脳機能障害で労働能力喪失率100%が認められるのはどのような場合ですか?
A2:知能検査の結果、医師の診断、実際の社会適応状況などを総合的に評価して判断されます。
本件では、知能指数が最低区分、社会適応性と問題解決能力が著しく劣る、実際に雇用される可能性が乏しいなどの事情が考慮されました。
日常生活動作が自立していても、就労能力とは別に評価される点が重要です。
Q3:家族が介護のために仕事を辞めた場合、その損害は認められますか?
A3:本件では、兄が介護のため退職したことが、兄の固有の慰謝料を認める際の考慮要素となっています。
もっとも、退職による収入減少そのものが損害として認められるわけではなく、将来介護費の算定で家族介護が予定されている点が考慮されています。
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高校卒業後、日米でのフリーター生活を経て、旧司法試験(旧61期)に合格し、アトム法律事務所を創業。全国15拠点を構えるアトム法律グループの代表弁護士として、刑事事件・交通事故・離婚・相続の解決に注力している。
一方で「岡野タケシ弁護士」としてSNSでのニュースや法律問題解説を弁護士視点で配信している(YouTubeチャンネル登録者176万人、TikTokフォロワー数69万人、Xフォロワー数24万人)。
保有資格
士業:弁護士(第二東京弁護士会所属:登録番号37890)、税理士、弁理士
学位:Master of Law(LL.M. Programs)修了
