危険運転で40歳教師死亡、遺族に約6300万円の賠償命令 【裁判例解説】
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「なぜ、あれほどのスピードを出したのですか?!」
法廷には、原告代理人の弁護士の声が響き渡る。
スクリーンには事故現場の写真とともに「時速約100キロメートル」という数字が映し出されていた。「あなたの悪質な運転によって、旦那さんは、かけがえのない妻を突然失いました。まだ幼いお子さんも、母親と過ごす機会を持てなくなったのですよ…。」
証言台に立つ被告の目線の先には、40歳という若さで命を落とした小学校教師の遺影と、まだ2歳にも満たない娘を抱きしめる父親の姿があった。
法廷内は静まり返り、裁判官が無言で手元の書類に視線を落とす。重苦しい空気の中、判決の時が、刻一刻と近づいていた…。
※札幌地方裁判所平成26年(ワ)第1312号 損害賠償請求事件(平成27年1月28日判決)をもとに構成しています。
この裁判例から学べること
- 交通事故の死亡事故では、被害者の収入を基に将来の逸失利益が算定される
- 公務員であっても定年後の減額が必ずしも認められるわけではない
- 事故態様の悪質性が慰謝料額に影響することがある
- 遺族(配偶者・子)には固有の慰謝料請求権がある
- 基礎収入の算定には育児休暇前の収入が使われることがある
交通事故による死亡事故では、被害者本人の損害賠償だけでなく、遺族固有の損害賠償も認められます。特に、逸失利益の算定方法や慰謝料の金額については、事故の態様や被害者の年齢、家族構成などによって大きく変わってきます。
今回ご紹介する裁判例は、公立の小学校教師として勤務していた40歳の女性が、無謀な運転による悪質な交通事故で命を落とした事案です。裁判所は、被害者の逸失利益を67歳までの27年間分として算定し、夫と幼い子どもから相手方に対する合計約6300万円の損害賠償を認めました。
この事例を通じて、交通事故による死亡事案における損害賠償の考え方や、遺族の精神的苦痛に対する慰謝料の算定方法について理解を深めていきましょう。
📋 事案の概要
今回は、札幌地方裁判所平成26年(ワ)第1312号 損害賠償請求事件(平成27年1月28日判決)をモデルとして取り上げます。 この裁判は、交通事故により死亡した被害者の夫と子が、加害者に対して損害賠償を求めた事案です。
- 原告:被害者の夫と、子(事故当時1歳8か月)
- 被告:事故を起こした自動車運転者
- 事故状況:被告が普通乗用自動車を路面が湿潤し車輪が滑走しやすい状態で、時速約100キロメートルで運転中、車線変更時にハンドル・ブレーキ操作を誤り、車両が滑走して、対向車線に飛び出して、被害者の車に衝突
- 負傷内容:被害者は脳損傷の傷害を負い、翌日死亡
- 請求内容:原告(夫)が約4998万円、原告(子)が約4826万円の損害賠償請求
- 結果:原告(夫)に約3254万円、原告(子)に約3089万円の支払いを命じる判決
🔍 裁判の経緯
「あの日、妻は普段通り小学校に出勤する途中でした。」
原告である夫は、声をおさえながら当時の様子を振り返った。
妻の声を聴いたのは、娘を保育園に送る準備をして、『行ってきます』と玄関を出たときが最後だった。
事故の知らせを受けて病院に駆けつけたときには、妻は脳損傷によりすでに意識不明の重体だった。
そして翌日、40歳という若さでこの世を去った。
「妻は大学卒業後すぐに小学校教師になりました。事故当時は、育児休暇から職場復帰したばかりで、これからまた公立学校の教員(地方公務員)の仕事と、家庭の両立を頑張ろうとしていたんです。」
事故当時は、路面が濡れていた。しかし、被告は、時速100キロという危険な速度で前方の車を追い越そうとし、スリップ。制御不能となって対向車線に飛び出してしまった。そして、今回の事故がおきてしまったのだ。
「私は妻を失っただけでなく、仕事も変えざるを得なくなりました。以前の勤務時間では育児との両立が難しく…。それに、何より、娘は、生涯、母親のいない生活を強いられる。法定速度を大幅に上回っており、悪質極まりないです。妻は、もう娘の成長を見届けることもできない。相手には、きちんと償ってもらいたいのです。」
こうして、本件では、父と子が、事故の相手方に賠償請求訴訟をおこすこととなった。
訴訟では、被害者の逸失利益の算定方法や、遺族それぞれの慰謝料額が争点となった。
特に、被害者が地方公務員であったことから定年後の基礎収入をどう扱うか、また育児休暇明けで収入が減少していた時期の収入をどう評価するかが焦点となった。
※札幌地方裁判所平成26年(ワ)第1312号 損害賠償請求事件(平成27年1月28日判決)をもとに構成しています。
⚖️ 裁判所の判断
判決の要旨
裁判所は、被害者の逸失利益について、育児休暇明けという事情を考慮して事故前々年度の収入を基礎とし、労働能力喪失期間を67歳までの27年間として算定しました。
また、生活費控除率は被害者と夫の収入がほぼ同等であったことから35%と認定しました。死亡慰謝料は2100万円、遺族固有の慰謝料は合計600万円(夫:300万円、子:300万円)と認められました。
主な判断ポイント
1.逸失利益の基礎収入と喪失期間について
裁判所は、被害者が事故の約7か月前までの1年間、育児休暇中であったことを考慮し、事故前々年度(平成21年度)の収入621万4,392円を基礎収入として採用しました。
また、地方公務員であったからといって定年後の基礎収入を減額するのは「将来の蓋然性の問題として相当でない」と判断し、労働能力喪失期間を67歳までの27年間としました。
2.生活費控除率について
被害者の収入は夫の収入(555万2,112円)とほぼ同額(正確にはそれ以上)であったことから、「性別によって生活費控除率を下げる理由はない」とし、また「いずれが一家の支柱ともいい難い」として、生活費控除率を35%と認定しました。これは原告側の主張(30%)よりも高い数値でした。
3.死亡慰謝料と遺族固有の慰謝料について
被害者の死亡慰謝料については、大学卒の小学校教諭であったこと、夫と幼い子がいたこと、加害者の過失が一方的かつ重大であることを考慮して2100万円と認定しました。
また、遺族固有の慰謝料については、夫と子それぞれに300万円が認められました。
👩⚖️ 弁護士コメント
◆逸失利益の算定について
本件では、逸失利益の算定において注目すべき点が二つあります。それは、育児休暇明けということと、定年後の年収の評価です。
1.育児休暇明け
一つ目は、育児休暇明けという事情から基礎収入を事故前々年度の収入としたことです。通常、基礎収入は事故直前の収入を基準とします。しかし、特殊事情があり1年分の収入が極端に少ない場合は、それ以前の収入を参照することがあります。
本件の場合、事故前年度(平成22年)の4月初旬から育児休暇をとっており、前年度の年収を基礎にした場合、1月からの約3か月分がベースになってしまいます。これでは、不公平です。そのため、適切な賠償をうけられるよう、裁判所は、事故の前々年度(平成21年度)の収入を参照するとしたのでしょう。
2.定年後の年収
二つ目は、公務員の定年後の収入についての判断です。被告側は定年後の基礎収入を賃金センサスに基づいて算定すべきと主張しましたが、裁判所はこれを認めませんでした。本件の場合、賃金センサスの基づく算定のほうが、賠償額が低くなります。
本件の裁判所の判断は、「将来の不確実性」を被害者側に不利に解釈すべきではないという考え方に基づいており、被害者保護に厚い判断といえるでしょう。
◆慰謝料額の評価について
本件の死亡慰謝料は、被害者本人の分が2,100万円、遺族固有の慰謝料が600万円(夫と子、それぞれ300万円ずつ)とされ、合計2,700万円認定されました。
赤い本(民事交通事故訴訟 損害賠償額算定基準)によれば、死亡した本人およびその遺族等(民法711条所定の者とそれに準ずる者)に対して支払われる死亡慰謝料の総額の目安は、以下のとおりです。
死亡慰謝料の相場(本人および遺族固有の慰謝料の総額)
属性 | 金額の目安 |
---|---|
一家の支柱 | 2,800万円 |
母親、配偶者 | 2,500万円 |
その他 | 2,000万円~2,500万円 |
本件の被害者は、「母親」であり、かつ「配偶者」です。ただし、夫と同程度の収入があったことから、「一家の支柱」までいかずとも、家計に貢献する立場にもあったといえます。
このような事情をふまえると、2,700万円という死亡慰謝料の額は、一般的な相場から見てもおおむね妥当か、やや高めの金額と言えるでしょう。
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事故態様の悪質性は考慮される?
死亡慰謝料の金額の算定では、事故態様の悪質性が考慮されることもあります。
裁判所は、「路面が湿潤していた状況において、前方を走行していた車両を追い越すため、おおよそ時速100kmの速度で、第1通行帯から第2通行帯へ進路を変更し、自車を滑走させて、対向車線に飛出」すという「一方的かつ重大」な過失により、被害者の命を奪ったと述べており、本件でも、事故態様の悪質性が慰謝料金額の算定に影響しているものと思われます。
なお、原告側は、夫と娘は各1500万円を固有の慰謝料として請求していましたが、裁判所は「同種事案との均衡」を理由に、その請求をしりぞけています。
相場どおりかやや高めの金額と思われることから、このような判示は致し方ないかもしれませんが、幼い子が母親を失うという重大な精神的苦痛を考えると、この金額が十分かどうかは議論の余地もあるでしょう。
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◆逸失利益とは
逸失利益とは、事故がなければ得られたであろう将来の収入のことです。交通事故による死亡事案では、以下の計算式で算出されます。
逸失利益の計算式
基礎収入 × (1-生活費控除率) × ライプニッツ係数
基礎収入は通常、事故直前の年収が基準となりますが、本件のように特殊事情がある場合は別の基準が採用されることもあります。
生活費控除率は、被害者自身が消費していたであろう生活費の割合を指し、通常は収入の使途や家族構成によって異なります。
ライプニッツ係数は、将来の収入を現在価値に換算するための係数です。
◆近親者固有の慰謝料請求権
民法711条では、被害者の父母・配偶者・子が、加害者に対して固有の慰謝料を請求できる権利が認められています。これは、被害者本人の慰謝料とは別に認められる請求権です。
金額は、被害者との関係性や年齢、事故態様などによって異なります。
ただし、死亡慰謝料の相場としては、本人の慰謝料と遺族固有の慰謝料は、まとめて評価されることが多いでしょう。
【再掲】死亡慰謝料の相場(本人および遺族固有の慰謝料の総額)
属性 | 金額の目安 |
---|---|
一家の支柱 | 2,800万円 |
母親、配偶者 | 2,500万円 |
その他 | 2,000万円~2,500万円 |
◆交通事故の損害賠償における過失相殺
交通事故の損害賠償では、被害者側にも過失がある場合、その割合に応じて賠償額が減額されます(過失相殺)。
本件では、被害者側に過失がなく、加害者の過失が一方的だったため、過失相殺は行われていません。
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🗨️ よくある質問
Q1: 育児休暇中や産休中の収入が減少している場合、逸失利益はどのように計算されますか?
A1: 本件のように、育児休暇や産休によって一時的に収入が減少している場合は、通常の収入状態を反映する時期(育休前や産休前)の収入が、基礎収入として採用されることが多いです。これは、一時的な収入減少が、将来の収入能力の低下を意味するものではないという考えに基づいています。
Q2: 遺族固有の慰謝料は、被害者との関係性によってどのように変わりますか?
A2: 遺族固有の慰謝料は、被害者との関係性(配偶者、子、親など)や同居の有無、扶養関係などによって金額が変わることがあります。一般的に配偶者や幼い子の慰謝料額は高く設定される傾向にありますが、本件では、配偶者と子について各300万円ずつ認定されています。
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高校卒業後、日米でのフリーター生活を経て、旧司法試験(旧61期)に合格し、アトム法律事務所を創業。弁護士法人を全国展開、法人グループとしてIT企業を創業・経営を行う。
現在は「刑事事件」「交通事故」「事故慰謝料」などの弁護活動を行う傍ら、社会派YouTuberとしてニュースやトピックを弁護士視点で配信している。
保有資格
士業:弁護士(第二東京弁護士会所属:登録番号37890)、税理士
学位:Master of Law(LL.M. Programs)修了