後遺障害12級の逸失利益314万円を認定—努力による「収入維持」が争点となった裁判 #裁判例解説
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「おかしいじゃないですか。収入が減っていないのに、なぜ逸失利益が認められるんですか?」
被告側の弁護士の声が法廷に響き渡る。原告の女性は、肩の痛みに耐えながら証言台で、静かに言葉を探した。
「たしかに、給料は下がっていません。でも、それは痛みに耐え、必死に努力して働き続けたからです。」
彼女は、悔しさをこらえるように唇をかみしめる。
「日常生活でできないことが増えているのに、逸失利益を認めないのは、本当に公平でしょうか?」
原告側の弁護士が畳みかけるように、裁判官に問いかけた。
裁判官はペンを置くと、沈黙のなかで両者を見つめた。この判断が、交通事故被害者の「見えない努力」をどう評価するかーその分岐点となるかもしれない。
※神戸地尼崎支判令和1年9月27日(平成29年(ワ)第473号)をもとに、構成しています。
この裁判例から学べること
- 交通事故で後遺障害が残った場合、逸失利益(将来の減収分)の賠償請求ができる
- 交通事故後、努力で収入を維持し実収入が減収しなくても、逸失利益は認められ得る
- 後遺障害認定では、症状の経過、治癒過程の特性、検査結果等が重視される
- 断裂部に急性期の炎症所見がなくても、外傷性の腱板損傷と認定される可能性がある
- 器質的損傷を裏付ける所見の有無が、後遺障害認定の結果を左右する可能性がある
交通事故による後遺障害が残った場合、「逸失利益」という将来の収入減少に対する賠償を請求できます。しかし、被害者が努力して事故後も収入が減少していない場合、逸失利益は認められるのでしょうか?
今回ご紹介する裁判例は、被害者が事故後も収入減少がないにもかかわらず、後遺障害による逸失利益が認められた事案です。裁判所は「収入が減っていないのは被害者の努力の成果」として、労働能力喪失による逸失利益を認めました。
また医学的には、受傷から半年以上経過していたため典型的な急性期の所見がなくても、症状経過や画像所見から左肩腱板損傷を認定した点も注目されます。交通事故後の損害賠償請求における重要な判断基準を提供する事例として、詳しく見ていきましょう。
目次

📋 事案の概要
今回は、神戸地尼崎支判令和1年9月27日(平成29年(ワ)第473号)を取り上げます。 この裁判は、信号待ちで停止中の車両に後続車が追突し、被害者に後遺障害が残ったため、損害賠償を求めた事案です。
- 原告:40歳女性、会社員
- 被告:追突事故を起こした車の運転者
- 事故状況:信号待ちで停止中の原告車両に、被告車両が追突
- 負傷内容:頸椎捻挫、腰椎捻挫、左肩関節捻挫、左肩腱板損傷
- 請求内容:1,163万9,155円の損害賠償請求
- 結果:614万0,811円の支払いを命じる判決
🔍 裁判の経緯
「追突されたとき、反射的に左手を伸ばしてダッシュボードを押さえたんです。その時、左肩に強度の負荷がかかったようで。肩や首に、痛みが出てしまいました。」
原告は事故当日に病院を受診し、頸部捻挫と診断されました。翌日には別のクリニックで頸椎捻挫、腰椎捻挫、左肩関節捻挫と診断されています。
「左腕が上がらなくなって、髪も洗えないんです。夜も痛みで眠れない日が続いて…。」
事故から約1ヶ月後の診察では、左手に痛みがあり、特定の動きで痛みが出るテスト(ペインフルアーク、ホーキンステスト)で陽性反応が出ました。
「会社は休めないので、痛みをこらえて働いていました。子供のお世話や家事もしなきゃいけなくて、とにかく必死でした。」
約7ヶ月後、別の病院でMRI検査を受けたところ、棘上筋腱の変性や棘上腱内に部分断裂が疑われる所見が認められました。
「保険会社は『炎症所見がないから事故との因果関係はない』と言うんです。でも事故前は何の問題もなかったのに…。」
約10ヶ月後に症状固定となりましたが、左肩の可動域制限や痛みが残り、仕事で重いものが持てない、洗髪ができない、左側を下にして寝られないなどの症状が続きました。
「収入は減っていないけど、それは痛みに耐えて無理をしているからなんです。これからずっとこの状態で働けるとは思えなくて…。」
※神戸地尼崎支判令和1年9月27日(平成29年(ワ)第473号)をもとに、構成しています
⚖️ 裁判所の判断
判決の要旨
裁判所は、原告の左肩の症状が事故によって生じた腱板損傷によるものと認め、後遺障害等級12級に相当する障害が残存していると判断しました。
そして、事故後に収入の減少がなくても、それは被害者の努力によるものであり、労働能力の喪失による逸失利益は認められるとしました。
なお、腱板損傷の急性期に見られる炎症所見がないという点については、事故から半年以上経過しているため、炎症が軽快している可能性があるとし、腱板損傷を否定する事情にはならないと述べました。
主な判断ポイント
1.左肩腱板損傷と事故との因果関係
裁判所は、原告が事故直後から左肩や左上腕の痛みを訴えており、その後のMRI検査で腱板の部分断裂が疑われる所見が認められたこと、治療経過等から、事故と左肩腱板損傷との因果関係を認めました。
急性期の炎症所見がありませんでしたが、「外傷性の場合でも急性期を過ぎ慢性化した場合は血腫や水腫を認めないことも多い」として、因果関係を否定する理由にはならないと判断しました。
2.収入減少がなくても認められる逸失利益
裁判所は「原告は本件事故後、給与収入について減収はないが、これは原告の努力の成果であるということができるから、後遺障害による逸失利益は生じている」と判断しました。
つまり、実際の収入減少がなくても、労働能力が低下したことによる損害は発生しているとしました。
3.後遺障害等級の認定と労働能力喪失率
裁判所は、原告の左肩の可動域制限や頑固な痛みから、後遺障害等級12級6号(関節機能障害)または13号(局部の頑固な神経症状)に相当すると認定しました。
労働能力喪失率を14%、労働能力喪失期間を10年(対応するライプニッツ係数は7.722)、基礎収入291万1,700円として、逸失利益を算定しました。
291万1,700円×14%×7.722=314万7,780円
👩⚖️ 弁護士コメント
交通事故と腱板損傷の因果関係について
この裁判例は、事故と肩の腱板損傷との因果関係を判断する上で重要な示唆を与えています。
一般に、外傷性の腱板損傷があれば、急性期には炎症所見が見られるのが通常です。保険会社が反論する場合、この炎症所見がないことを理由に因果関係を否定することも多いです。
しかし本裁判例では、整形外科専門医の所見を参考に、「受傷から半年程度経過しているため、受傷時にあった炎症が軽快した可能性もある」との見解を示しました。このため、炎症所見が見当たらないことが、腱板損傷を否定する理由にはならないと判断されたのです。
腱板損傷の症状が慢性化すると、炎症所見が消失することは医学的にも知られています。ただし、保険会社との交渉や裁判の場で、有利な主張・立証を展開するには、整形外科専門医による意見書等の証拠提出が必要でしょう。
逸失利益の認定基準について
本裁判例の最も重要な点は、実際の収入減少がなくても逸失利益が認められるという判断です。「減収がないのは被害者の努力の結果」という考え方は、交通事故被害者の権利を守る上で非常に重要です。
多くの被害者は、収入を維持するために痛みを我慢して働き続けますが、それによって逸失利益が否定されるのは不公平です。本裁判例は、そうした被害者の「見えない努力」を正当に評価し、収入減少の有無だけで逸失利益を判断するべきではないという重要な基準を示しました。
後遺障害認定のポイント
本件では、被害者の自覚症状に加え、徒手検査(ペインフルアーク、ホーキンステスト)や、関節可動域の測定などの客観的な検査結果を踏まえ、総合的に評価されています。
また、MRI画像では、急性期の炎症所見は確認できませんでしたが、棘上筋腱の変性や棘上腱内に部分断裂が疑われる所見が見られたことも、後遺障害認定に大きな影響を与えたと考えられます。
後遺障害認定のポイント
- 自覚症状の一貫性
- 症状を裏付ける検査結果があるか
・徒手検査
・関節可動域の測定
・MRI画像 など
本裁判例は、後遺障害認定について、単一の所見だけでなく、症状経過や各種検査結果を総合的に評価されることを示した重要な裁判例といえます。
📚 関連する法律知識
逸失利益の基本的な考え方

逸失利益とは、事故によって労働能力が低下したことにより将来失われると予想される収入のことです。
後遺障害逸失利益の計算方法

計算式は「基礎収入額×労働能力喪失率×労働能力喪失期間に対応するライプニッツ係数」となります。
計算式の要素
- 基礎収入額:事故前の収入を基準とします
- 労働能力喪失率:後遺障害等級に応じて設定されます(例:12級は14%)
- 労働能力喪失期間:年齢や障害の程度を考慮して設定されます
- ライプニッツ係数:将来の収入を現在価値に換算するための係数です
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収入減少と逸失利益の関係
本裁判例が示すように、実際の収入減少がなくても、労働能力が低下したことによる将来の潜在的な損害として逸失利益は認められます。
これは「収入が減っていない=逸失利益なし」という単純な図式ではなく、「被害者の努力」や「労働能力の低下」という要素を考慮する必要があるということです。
腱板損傷と後遺障害認定
腱板損傷の後遺障害は、主に関節可動域制限や痛みの程度によって等級が決まります。
たとえば、以下のようなものになります。
10級10号 | 肩関節の可動域が健側*の2分1以下 |
12級6号 | 肩関節の可動域が健側*の4分の3以下 |
12級13号 | 局部に頑固な神経症状を残すもの |
14級9号 | 局部に神経症状を残すもの |
* 後遺障害がない側を指す。左肩関節の機能障害が問題になる場合は、右肩関節が健側となる。
肩関節の可動域制限の認定基準
肩関節については、主要運動(屈曲 or 外転)のいずれか一方の可動域が健側の1/2以下又は3/4以下に制限され、その可動域制限の原因となる器質的損傷が認められる場合、関節の著しい機能障害(10級10号)又は機能障害(12級6号)と認定される可能性があります。
本裁判例における後遺障害の認定
本件では、以下のような理由から、原告には12級6号(関節機能障害)又は12級13号(局部の頑固な神経症状)の後遺障害が残存していると認定されました。
- 左肩の外転の可動域が、健側(右肩)の約2分の1以下(右180度に対して左80度)に制限されていること
- 医師が、後遺症診断の際に、原告には、「左肩に頑固で高度な疼痛が残存している」と診断していること
なお、本裁判例では、原告の左肩の可動域制限が右肩の1/2以下であるにもかかわらず、原告・裁判所ともに、10級(1/2以下の可動域制限)ではなく、12級(3/4以下の可動域制限)を問題としています。
これは、関節機能障害に関する後遺障害の認定において、単に「ROM測定結果が健側の1/2以下であれば足りる」のではなく、認定される等級に見合うだけの身体組織の損傷(骨折や軟部組織損傷など)が存在することを、十分に立証する必要があることを示唆するものです。
つまり、本件の画像所見は12級認定の根拠とはなり得ても、10級認定の根拠としては弱いものだったということです。
後遺障害認定を受けるためのその他のポイント
損傷を裏付ける画像所見を得ることのほか、適切な頻度で通院すること、受傷状況を説得的に主張すること等も、後遺障害認定のための重要なポイントとなるケースが多いでしょう。
🗨️ よくある質問
Q1:収入減少がなくても逸失利益は認められますか?
A1:本裁判例のように、収入減少がなくても労働能力が低下していれば逸失利益は認められ可能性があります。収入が維持されている場合でも、それが被害者の努力や無理によるものであれば、労働能力の低下による損害として逸失利益が認められ得るのです。
Q2:事故から時間が経過した後のMRI検査で、炎症所見がない場合は因果関係が否定されますか?
A2:必ずしも否定されません。本裁判例が示すように、受傷から数か月経過すると炎症所見が消失することは医学的にも知られており、総合的な症状経過から因果関係が認められる場合があります。早期の医師の診断記録や症状の継続性が重要になります。
Q3:後遺障害12級の労働能力喪失率はどのように決まりますか?
A3:後遺障害12級の労働能力喪失率は、自賠責保険の基準では14%とされています。これは障害の程度から一般的な労働能力の低下を推定したものですが、職業や年齢によって個別に判断される場合もあります。
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交通事故の後遺障害認定においては、可動域制限(関節の動きが制限される状態)と身体組織の損傷(骨折や軟部組織損傷など)の整合性が求められます。これが不十分だと、等級認定が見送られることも少なくありません。
適切な賠償を受けるためには、後遺障害認定を視野に入れ、治療の初期段階から適切な対応を講じていくことが重要です。
お一人で抱え込まず、まずは弁護士にご相談ください。
高校卒業後、日米でのフリーター生活を経て、旧司法試験(旧61期)に合格し、アトム法律事務所を創業。弁護士法人を全国展開、法人グループとしてIT企業を創業・経営を行う。
現在は「刑事事件」「交通事故」「事故慰謝料」などの弁護活動を行う傍ら、社会派YouTuberとしてニュースやトピックを弁護士視点で配信している。
保有資格
士業:弁護士(第二東京弁護士会所属:登録番号37890)、税理士
学位:Master of Law(LL.M. Programs)修了