同乗者死亡事故と精神症状〜PTSDの損害賠償における立証の壁 #裁判例解説

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「黄色信号だったんです。左から赤信号無視の被告が衝突してきて…」

裁判所の静まり返った法廷で、原告の声がわずかに震えていた。スクリーンには交差点の図面が映し出され、赤色と黄色の信号が交錯する瞬間が再現されていた。

「職に就く前から親交があった理事長を失って、あの日以来、私は眠れない夜を過ごし、フラッシュバックにも悩まされています…」

事故で同乗者を失い、精神症状を患った男性の損害は、どこまで法的に評価されるのか。裁判官の判断が、今すべてを決定づける。

※神戸地判平成30年4月12日(平成28年(ワ)第838号)をもとに、構成しています

この裁判例から学べること

  • 事故と相当因果関係がある精神症状は、PTSDの診断名がなくても賠償請求し得る
  • 事故から派生した出来事による精神症状も、相当因果関係が認められ得る
  • 事故と精神症状の因果関係は、医学的な診断基準を参考にしつつ判断される
  • 赤信号無視は、交通事故の過失割合において、重大視される
  • 黄信号無視の交差点進入は、速度超過や進入のタイミングが過失割合を左右する

交通事故の損害賠償請求では、身体的な被害に加え、精神的な被害が認められるか争われることがよくあります。

たとえば、精神的外傷後ストレス障害(PTSD)などの精神症状が、事故との相当因果関係を有するかどうかは問題になりやすいです。

今回取り上げる裁判例は、信号機のある交差点での出合い頭衝突事故において、同乗者が死亡するという悲惨な状況に直面し、ケガの他にPTSDも発症したと主張する被害者が、損害の賠償を求めた事案です。裁判所は、医学的な診断基準を参考にして精神症状の評価を行い、PTSDとの診断は否定しつつも、事故に起因する一定の精神症状を認定し、その治療費の賠償を認める判断を下しました。

この事例を通して、交通事故における過失割合の認定や、精神症状の相当因果関係の判断基準について理解を深めていきましょう。

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📋 事案の概要

今回は、神戸地判平成30年4月12日(平成28年(ワ)第838号)を取り上げます。 この裁判は、信号のある交差点で黄信号で進入した原告車両と、赤信号で進入した被告車両の出会い頭の衝突事故に関する事案です。

  • 原告:58歳男性、自動車運転員兼事務職員
  • 被告:普通乗用自動車の運転者
  • 事故状況:原告は黄信号で交差点に進入し、被告は赤信号で交差点に進入して出合い頭に衝突
  • 負傷内容:原告は頸椎捻挫、腰部捻挫、左肋間筋炎、左胸部挫傷の傷害を負い、心的外傷後ストレス障害(PTSD)も発症。原告車に同乗していた法人理事長は事故で死亡
  • 請求内容:不法行為に基づく損害賠償として、853万0,757円及び遅延損害金の支払いを請求
  • 結果:裁判所は原告の請求を一部認容し、被告に157万4,109円及び遅延損害金の支払いを命じた

🔍 裁判の経緯

「あの日、私は法人の理事長を車に乗せて、いつも通り運転していました。交差点に近づいたとき、信号は黄色でした。法的には進入できると判断して、そのまま進みました。でも突然、左側から車が飛び出してきて…」

原告は当時を振り返り、声を詰まらせる。彼は58歳、約13年間にわたり理事長の専属運転手を務めてきた。2人の間には、長きにわたる信頼関係があった。

「衝突された後、車は何回もスピンして、何かにぶつかって止まりました。その後、同乗していた女性から『理事長の脈がない』と言われて…体が震えました。理事長は動かず、うつむいたままでした。」

事故後、原告は頸椎捻挫や腰部捻挫などの身体的な怪我に加え、集中力の低下や睡眠障害などの症状に悩まされるようになった。さらに、事故から約1ヶ月後には、サウナで気分が悪くなり、目の前が真っ白になって倒れそうになる経験もした。

「事故現場を避けるようになり、事故の瞬間を思い出すと寒気がして体が凍りつくような感覚に襲われました。刑事処分や免許取消のこともあいまって、夜も眠れず…」

原告は、ケガのほかに、事故による精神的外傷後ストレス障害(PTSD)も発症したと主張。さらに、理事長の死亡により運転業務が不要となり、退職勧奨を受けることに。法人での職務が継続できず、事実上の整理解雇を余儀なくされたとして、休業損害も請求した。

※神戸地判平成30年4月12日(平成28年(ワ)第838号)をもとに、構成しています。

⚖️ 裁判所の判断

判決の要旨

裁判所は、被告の赤信号進入の過失を重く見つつも、原告にも黄信号進入と速度超過の過失があるとして、過失割合を原告30%:被告70%と認定しました。

また、原告のPTSD発症は認められないものの、事故による覚醒亢進症状を伴う精神症状は発症したと認めて、その症状と事故との相当因果関係を認め、入院期間に対応する治療費等を損害として認めました。

休業損害については、事故直後の有給休暇取得期間(16.5日)と、精神症状による入院期間(20日)に限り認容されました。

主な判断ポイント

1.過失割合の認定(原告30:被告70)

裁判所は、被告の赤信号進入という重大な過失を認める一方、原告にも黄信号での進入著しい過失(時速15㎞以上の速度違反。本件で、原告は時速40キロメートル規制の道路を、時速66キロメートルで走行。)があったと認定しました。

そして、裁判所は、両者の過失を総合考慮し、原告30%:被告70%の過失割合が相当と判断しました。

2.精神症状と事故との相当因果関係

原告主張のPTSDについて、裁判所は「一般的に用いられている」DSM-4-TRの診断基準に照らし検討。

事故の衝撃は大きかったが、原告自身は軽症であること、理事長の死に直面したが外傷や出血がないこと、女性同乗者から「理事長の脈がない」と知らされた後に理事長の様子を確認したこと等から「強い恐怖・無力感・戦慄を感じる状況」とは認められず、PTSDの診断基準のひとつである「出来事基準」を満たさないと認定しました。
また、「再体験症状」や「回避症状」も十分に立証されていないとして、PTSDの発症は否定しました。

ただし、原告には集中力低下や睡眠障害などの覚醒亢進症状があり、それらの症状と事故および事故の派生事象(刑事処分、免許停止など)との因果関係が認められるとして、精神症状を含む治療費の賠償請求を認めました。

3.休業損害の範囲

裁判所は、原告が事故後に有給休暇を取得した期間の休業損害を認めました。また、法人退職後にわたる精神症状に関する入院期間についても、「事故がなければ退職前と同程度の収入を得られた蓋然性がある」として休業損害を認定しました。

なお、原告は、法人理事長が事故により81歳で死亡しなければ、少なくともあと5年間は運転手として稼働できたとして、退職後理事長の運転手として稼働を継続し得た期間についての休業損害も請求していました。

しかし、原告は理事長に雇用されていたものではなく、法人に雇用されていたことから、法人理事長の死亡を契機とする退職と事故との相当因果関係は否定され、請求は認められませんでした。

原告の
請求
・H27/2月末日まで: 42万6,178円
・H27/4/1以降(退職後):723万9,886円
裁判所の
判断
・有給分(H26/11/13~11/16)
 17,647円×16.5日=29万1,175円
・入院期間(H27/3/26~4/20)
 17,647円×20日=35万2,940円

👩‍⚖️ 弁護士コメント

精神症状の立証と医学的診断基準の重要性

本件では、原告のPTSD発症が争点となりましたが、裁判所はDSM-4-TRという医学的診断基準を参考にしつつ、厳格な判断を行いました。

交通事故によるPTSDを主張する場合、単に「不眠がある」「怖い思いをした」といった主観的な訴えだけでは不十分です。

医学的に認められた診断基準に沿って、具体的な症状を医療記録等で客観的に裏付けることが重要です。それには、事故直後からの一貫した症状の訴えと、専門医による適切な診断が欠かせません。

なお、本件は、PTSDという特定の診断名は否定されたものの、事故による精神症状自体は認められ、治療費が認容された点が注目されます。精神症状に対する治療の必要性と相当性が認められれば、特定の診断名がつかなくても、損害賠償の対象となる可能性があるのです。

過失割合と損害賠償額の関係

交通事故の損害賠償額を左右する最も重要な要素の一つが、過失割合です。

本件では、被告の赤信号無視という重大な過失を考慮しつつも、原告の速度超過と黄信号進入も考慮されました。

たしかに、道路交通法上、黄信号は「停止位置に停止できない場合に限り進行することができる」とされています。ただし、これは安全運転をしていることを前提とします。

本件の場合、そもそも原告は速度違反をしていたため、黄信号進入に過失が認められます。

また、速度超過の程度についても、問題になります。

本件の場合、原告は、制限速度40キロのところを、時速66キロで走行していました。この速度超過(15キロ以上30キロ未満)が、「著しい過失」として評価され、原告の過失割合に影響しました。

過失割合をおさえるには?

事故状況に関する客観的を収集し、自身の過失を最小限に抑える主張立証が重要です。

特に、事故直後の現場検証や目撃者証言、ドライブレコーダー映像などの客観的証拠が、過失割合の認定に大きく影響します。

休業損害の相当因果関係

本件では、有給休暇取得期間と入院期間の休業損害は認められましたが、理事長死亡による退職後の長期間の休業損害は認められませんでした。

有給と休業損害

交通事故の治療のために有給休暇を取得した場合、事故と相当因果関係が認められる場合は、休業損害を請求できる可能性があります。

本来自由に使えるはずの有給休暇を、事故で使わざるを得なくなった点が、「損害」と評価されるからです。

休業損害が認められやすいケース

  • 実際に入通院した場合
  • 医師が就労不能の診断をした場合

退職と休業損害

大前提として、原則、休業損害は、事故から症状固定(≒治療終了)までの減収分の賠償になります。

交通事故損害賠償の内訳

事故により退職せざるを得なくなった場合は、退職後の減収分についても休業損害を請求できる可能性があります。しかし、この場合でも、通常、症状固定(治療終了)までの休業損害に限られることがほとんどでしょう。

本件でも、原告は入院中に退職していますが、入院期間の最終日が治療終了日となっており、その時点までの休業損害が認められています。

また、本件は、会社都合ではなく退職勧奨に起因する任意退職です。任意退職の場合、休業損がが認められにくい傾向がありますが、「少なくとも、入院期間中は就労できず、退院日までの休業を余儀なくされた」と認定されており、この点も、本裁判例において休業損害が認められた背景の一つといえます。

なお、この入院期間は、精神症状の治療を受けるためのものです。事故と精神症状の因果関係が肯定されたため、休業損害の請求も認められるに至りました。

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交通事故による退職で休業損害がもらえるケースは?退職理由が重要

休業損害を請求するに必要な証拠は?

休業損害を請求するには、事故と休業との間の相当因果関係を立証する必要があります。

実務上は、医師の診断書や就労不能証明書が重要な証拠となります。また、事故前の就労状況や収入を証明する資料(源泉徴収票や給与明細など)も必ず準備しておくべきです。退職に至った経緯が事故と関連している場合は、その因果関係を示す資料(退職理由書や人事記録など)も有効です。

📚 関連する法律知識

信号無視(黄信号 vs 赤信号)と過失割合

信号無視の態様(黄信号<赤信号)

信号のある交差点での事故では、信号の遵守状況が過失割合に大きく影響します。

一般に、赤信号無視は重大な過失として評価されます。
一方で、黄信号については「停止位置に停止できない場合に限り進行できる」ため、その判断が適切だったかが問われます。また、そもそも速度違反で安全に停止できない場合は、過失が認められるでしょう。

速度違反(著しい過失<重過失)

信号のある交差点での事故では、速度違反の程度も、過失割合に影響します。

信号無視が絡む事故(黄信号 vs 赤信号)では、以下のように過失割合が修正されるケースが多いです。

  • 時速15キロ以上30キロ未満の速度違反
    →「著しい過失」として5%~10%の修正
  • 時速30キロ以上の速度違反
    →「重過失」として10%~15%の修正

その他

本裁判例では、黄信号車(原告車)が「赤信号直前の侵入」をしたかどうか、原告車が「明らかな先入り」をしたかどうかについても判示しています。

  • 赤信号直前の侵入
    結論:否定
    理由:原告車が黄信号で本件交差点に進入してから赤信号に変わるまでの秒数(約1秒)及びその間の進行距離(約18.3メートル)に照らすと、原告車が赤信号直前に進入したと認めることはできない。

※赤信号直前の侵入が認められた場合、黄信号車(≒原告側)の過失が10%加算される。

  • 明らかな先入り
    結論:否定
    理由原告車と被告車が本件交差点に進入した時間差は約0.43秒原告車の進入距離約7.8メートルにすぎないから、原告車の明らかな先入を認めることはできない。

※原告側は速度違反を減殺するために、明らかな先入りを主張した。

精神症状の因果関係判断

交通事故による精神症状の認定には、医学的診断基準が重要な役割を果たします。

PTSDの診断には、DSM(精神疾患の診断・統計マニュアル)などの国際的に認められた基準が用いられます。

主な診断基準は、以下の通りです。

PTSDの主な診断基準

  1. 出来事基準
    死や重症の危険に直面し、強い恐怖・無力感・戦慄を感じること
  2. 再体験症状
    フラッシュバックや悪夢などで事故を再体験すること
  3. 回避症状
    事故を連想させるものを避けること
  4. 覚醒亢進症状
    過度の警戒心、睡眠障害、集中力低下などが生じること

出来事基準を満たし、再体験症状・回避症状・覚醒亢進症状が1ヶ月以上続いて、社会生活に支障をきたす場合にPTSDと診断される可能性があります。

裁判所は、医学的な診断基準を参考にしながら、精神症状と事故との因果関係を判断します。

休業損害の算定方法

休業損害の算定には、主に次の計算式が用いられます。

基礎収入(日額)× 休業日数 = 休業損害

基礎収入の算定

基礎収入の算定には、①事故前3か月の平均収入、②事故前年の収入、③事故前の直近の給与などが用いられます。

本件では、事故前3か月の収入を基礎として日額を算出しています。

本件事故前3ヶ月の収入111万1,808円÷稼働日数63日=日額1万7,647円

休業日数の算定

休業日数としてカウントされるためには、休業の相当性が認められる必要があります。

休業の相当性については、医師の診断や症状の程度、職業の特性などを総合的に考慮して判断されます。

本件では、退職後も「事故がなければ同程度の収入が得られた蓋然性がある」として、退職後の入院期間中も休業日数としてカウントされました。

🗨️ よくある質問

Q1:交通事故でPTSDを発症した場合、どのような証拠が必要ですか?

A1:PTSDの立証には、①事故直後からの一貫した症状の訴え、②精神科医などの専門医による診断、③診断基準(DSM等)に沿った症状の客観的記録が重要です。事故直後からの診療録や検査結果、専門医の意見書などを準備することをお勧めします。また、日常生活への影響を示す証拠(勤務状況の変化など)も有効です。

Q2:黄信号での交差点進入は過失と評価されますか?

A2:道路交通法上、黄信号は「停止位置に停止できない場合に限り進行できる」とされています。十分な距離があり停止可能な状況だったのに交差点に進入した場合や、速度違反で停止が困難になった場合などには、黄信号側の車両にも過失が認められる可能性があります。特に、黄信号が赤に変わりそうなタイミングで進入したケースや、大幅な速度超過があった場合は、過失割合がさらに大きくなる可能性もあります。

Q3:事故により退職せざるを得なくなった場合、将来の収入減少は賠償されますか?

A3:事故と退職との間に相当因果関係が認められる場合に限り、将来の収入減少分が賠償されます。本件では、理事長の死亡が退職の契機となったことは否定できないものの、原告は法人に雇用されていたため、事故と退職の相当因果関係は否定されました。

退職が事故と直接関連していることについて証明するには、「配置転換もできず退職に至った」等の記載がある退職証明書や、主治医の意見書などを入手することが重要です。

なお、症状固定後(治療終了日以降)は、休業損害としての請求は難しくなるため、通常、後遺障害逸失利益の請求を検討する流れになるでしょう。

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岡野武志弁護士

監修者


アトム法律事務所

代表弁護士岡野武志

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高校卒業後、日米でのフリーター生活を経て、旧司法試験(旧61期)に合格し、アトム法律事務所を創業。弁護士法人を全国展開、法人グループとしてIT企業を創業・経営を行う。
現在は「刑事事件」「交通事故」「事故慰謝料」などの弁護活動を行う傍ら、社会派YouTuberとしてニュースやトピックを弁護士視点で配信している。

保有資格

士業:弁護士(第二東京弁護士会所属:登録番号37890)、税理士

学位:Master of Law(LL.M. Programs)修了

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