妊娠後期に事故で胎児死亡。損害賠償請求の法的判断は? #裁判例解説
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「定期検診でも何の問題もなく、出産準備も整えていました。でも、あの事故で全てが変わってしまいました。」
法廷で、妻は静かに証言台に立った。妊娠36週。医師からは「順調に育っています。」と言われていた矢先の交通事故だった。
弁護士は丁寧に事実関係を整理し、法的な救済の道筋を探っていく。胎児の法的地位という難しい問題に、裁判所はどのような判断を下すのだろうか。
※東京地裁平成11年6月1日判決(平成10年(ワ)第21771号)をもとに、構成しています。
この裁判例から学べること
- 妊娠36週の胎児死亡で、母親700万円・父親300万円の慰謝料が認められた
- 胎児の発育状況や出産の蓋然性が、両親の慰謝料額に大きく影響する
- 死亡した胎児の両親は、胎児死亡による精神的苦痛について、慰謝料請求の余地がある
- 胎児死亡についての慰謝料は、母親よりも、父親の方が低額になる可能性がある
交通事故による胎児の死亡は、家族にとって計り知れない悲しみをもたらします。
しかし、法律上、胎児は「出生」するまで権利能力が認められず(停止条件説)、胎児のままでは賠償請求の主体にはなれません(民法3条1項)。
そのため、胎児の死亡についての損害賠償請求は、法律上、その両親の慰謝料請求というかたちでおこなうのが一般的です。
今回ご紹介する裁判例は、妊娠36週という出産直前の胎児が交通事故で死亡したケースで、母親に700万円、父親に300万円という高額な慰謝料が認められた判決です。
この事例では、権利能力を有する「新生児」と、そうでない「胎児」の取り扱いに区別を設けることはやむを得ないとしても、「出産を間近に控えた胎児の死亡についての損害賠償額は、それなりに評価されるべき」という裁判所の判断が示されました。
胎児の死亡事故における損害賠償の考え方と、法的救済のあり方について理解を深めていきましょう。
目次

📋 事案の概要
今回は、東京地裁平成11年6月1日判決(平成10年(ワ)第21771号)を取り上げます。 この裁判は、停車中の車両への追突事故により、妊娠後期の胎児が死亡した損害賠償請求事案です。
- 原告:妊娠36週の妊婦である妻と、その夫
- 被告:追突事故を起こした加害者
- 事故状況:右折待ちで停車中の車両に後方から追突
- 被害状況:交通事故の衝撃により子宮内胎児死亡、妻は顔面外傷
- 請求内容:妻の治療費、胎児死亡による精神的苦痛の損害賠償(慰謝料)など、約1,631万円を請求
- 結果:裁判所は、妻に対する約811万円、夫に対する300万円の支払いを、被告に命じた
原告らの請求 | 裁判所の判断 | |
---|---|---|
妻の治療費等 | 54,207円 | 54,207円 |
妻の付添費等 | 58,400円 | 58,400円 |
妻の慰謝料 | 1020万円 | 700万円 |
夫の慰謝料 | 500万円 | 300万円 |
弁護士費用 | 100万円 | 100万円 |
合計 | 16,312,607円 | 11,112,607円 |
🔍 裁判の経緯
「定期検診では順調だと言われていました。」
妻は弁護士との面談で、事故前の状況を詳しく説明した。妊娠36週という時期は、医学的には正期産に入る直前で、胎児の発育に特に問題は見られなかった。
「事故が起きたのは深夜でした。夫の友人が運転する車で、右折のために停車していた時に、後ろから追突されました。」
都内のとある交差点付近。右折車線で順番待ちをしていた車列の最後尾に停車中、その事故はおきた。
「突然、後ろからものすごい衝撃が来て…私は助手席のシートに顔を打ちつけました。」
その後、病院での検査により、交通事故の衝撃が原因で胎児が死亡していることが判明した。出産予定日まで1ヶ月を切った段階での出来事だった。
「私たちにとって、お腹の中の子供はもう家族の一員。でも、法律上はまだ『人』として扱われないと聞きました。どうすればよいのでしょうか?」
弁護士は胎児死亡による両親の精神的苦痛を詳細に整理し、妻の慰謝料1020万円、夫の慰謝料500万円を含む損害賠償を請求した。
加害者の前方不注視による過失は明らかだったが、胎児死亡に対してどこまでの賠償が認められるかは大きな争点となった。
※東京地裁平成11年6月1日判決(平成10年(ワ)第21771号)をもとに、構成しています。
⚖️ 裁判所の判断
判決の要旨
裁判所は医学的事実を詳細に検討し、「胎児は妊娠36週であり既に正期産の時期に入っており、当時胎児に何らの異常はなかった」と述べ、「現在の医療水準を考えれば胎児が正常に出産される蓋然性が高い」と認定しました。
その上で、「本件において死亡した胎児は、まさに新生児と紙一重の状態にあり、これを失った両親の悲しみ、落胆は相当なものである」として、母親に700万円、父親に300万円の慰謝料を認めました。
主な判断ポイント
医学的事実の詳細な検討
妊娠36週で正期産期に入っていること、胎児に医学的異常がないこと、現代医療における出産成功の高い蓋然性を総合的に評価しました。
法的評価の基準設定
「法人格を有する新生児と胎児の取り扱いに区別を設けることはやむを得ない」としながらも、「出産を間近に控えた胎児の死亡についての損害賠償額は、それなりに評価されるべき」という判断基準を示しました。
両親の精神的損害の個別評価
母親と父親それぞれの立場を考慮し、母親700万円、父親300万円という個別の慰謝料額を算定しました。
👩⚖️ 弁護士コメント
胎児死亡事案における法的救済の道筋
この判決は、胎児死亡に対する損害賠償あり方について重要な指針を示しました。従来、胎児は「出生」しない場合、民法上「人」として扱われないため、その死亡に対する慰謝料は低額におさえられる傾向がありました。
しかし、本判決は胎児の発育段階と出産の蓋然性を詳細に検討し、「妊娠36週」という出産直前の胎児については、新生児に準じた評価を行うべきとした点に大きな意義があります。
実務における影響と留意点
胎児の死亡について請求できる慰謝料は、妊娠週数や胎児の健康状態によって評価は変わるため、個別事案ごとの詳細な立証が重要になります。
事故と胎児死亡の因果関係についても、医学的な証拠による十分な立証が求められます。法的救済を求める際は、医療記録の保全と専門医の意見書取得が重要になります。
また、両親の慰謝料額に差を設けた点も、今後の類似事案での参考になるでしょう。
📚 関連する法律知識
胎児の法的地位に関する民法の規定・解釈
民法では、胎児は原則として権利能力を有しませんが、例外的に相続、遺贈、不法行為にもとづく損害賠償請求権については「既に生まれたものとみなす」規定があります(民法721条、同886条1項、同965条)。
このうち、本件では「損害賠償請求権」が問題になりますが、胎児は「生まれた場合に限って、事故の時にさかのぼって権利を得る」という考え方が、現在の実務では一般的です(阪神電鉄事件。大判昭和7.10.6民集11‐2023参照)。
そのため、胎児が出生しなかった場合には、胎児本人ではなく、ご両親の精神的苦痛に対する慰謝料が問題となるケースが多いでしょう。
損害算定における考慮要素
胎児死亡による損害の算定では、妊娠週数、胎児の医学的状態、出産の医学的蓋然性、両親の年齢や家族状況などが総合的に考慮されます。
本判決では、妊娠36週で正期産期に入っていることと、胎児に医学的異常がないこと等が重要な評価要素となりました。
本件以外の裁判例
- 出産予定日の4日前の死産:800万円(高松高判平成4.9.17自保ジ994-2)
- 妊娠2か月で胎児死亡:150万円(大阪地判平成8.5.31交民29-3-830)
- 妊娠27週で胎児が死亡:250万円(横浜地判平成10.9.3自保ジ1274-2)
- 妊娠18週で胎児死亡。事故から2年経過後も、妊娠に至っていないケース:350万円(大阪地判平成13.9.21交民34-5-1298)
- 41歳主婦。妊娠12週未満で早期流産:200万円(大阪地判平成18.2.23交民39-1-269)
- 19歳主婦。妊娠29週で胎児死亡:400万円(千葉地松戸支判令3.10.25自保ジ2112-94)
※公益財団法人 日弁連交通事故相談センター東京支部「民事交通事故訴訟 損害賠償額算定基準 上巻(基準編) 2025(令和7年)」P.212より抜粋のうえ、編集しました。
🗨️ よくある質問
Q1:妊娠初期の胎児死亡でも同様の損害賠償が認められますか?
A1:妊娠週数が早い段階では異なる評価となる可能性があります。
胎児の発育段階と出産の医学的蓋然性が重要な判断要素となるため、妊娠初期・中期では本判決とは異なる損害算定となることが予想されます。
Q2:胎児死亡の場合、将来の収入に基づく損害(逸失利益)は認められますか?
A2:胎児には法人格(権利能力)がないため、将来の収入に基づく逸失利益は基本的に認められません。
損害賠償は主として両親の精神的苦痛に対する慰謝料が中心となります。
Q3:事故と胎児死亡の因果関係はどのように立証しますか?
A3:医学的な因果関係の立証が必要です。
事故による外力が胎児死亡の原因であることを、医師の診断書、検査結果、専門医の意見書等により証明することが重要になります。
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高校卒業後、日米でのフリーター生活を経て、旧司法試験(旧61期)に合格し、アトム法律事務所を創業。弁護士法人を全国展開、法人グループとしてIT企業を創業・経営を行う。
現在は「刑事事件」「交通事故」「事故慰謝料」などの弁護活動を行う傍ら、社会派YouTuberとしてニュースやトピックを弁護士視点で配信している。
保有資格
士業:弁護士(第二東京弁護士会所属:登録番号37890)、税理士
学位:Master of Law(LL.M. Programs)修了