交通事故で発症したうつ病も賠償対象に ~精神的損害と事故の因果関係を認めた事例~【裁判例解説】

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「どうしてこんなに変わってしまったのですか?」

弁護士は、本人尋問で、静かに尋ねた。スナック経営者の男性は、裁判官のほうに視線をやり、小さな声で語り始める。

「あの日から、お客さんと話すことすらできなくなったんです。言葉が出てこない。頭痛がして、胸が締め付けられる…」

法廷には、事故前の売上帳、確定申告書、医者の意見書などが証拠として提出されていた。男性の人生を大きく変えた一瞬の衝突。

「交通事故の外傷は軽かったにもかかわらず、精神的ダメージがこれほど大きいのは珍しい」と被告側弁護士が反論する。

心の傷にも賠償責任が及ぶのか。裁判官が判決をくだす瞬間が近づいていた…。

※大阪地方裁判所平成15年(ワ)5634号・平成17年6月6日判決をもとに、構成しています。

この裁判例から学べること

  • 交通事故によるうつ病発症にも相当因果関係が認められ得る
  • 事故との因果関係が認められても、心因的要因により素因減額される場合がある
  • 自営業者の休業損害や逸失利益は、実態に即した算定・判断がなされる
  • 信号のない見通しの悪い交差点での事故における過失割合の考え方
  • 精神疾患の労働能力喪失率や喪失期間の判断基準

交通事故の損害賠償において、身体的な外傷だけでなく、精神的疾患が事故に起因するものとして認められるかどうかは、しばしば争点となります。

今回ご紹介する裁判例は、交通事故後に発症したうつ病について、事故との相当因果関係を認め、休業損害や後遺障害逸失利益、慰謝料などの賠償を認めた事例です。スナック経営者である被害者のうつ病発症と交通事故との因果関係、過失割合、素因減額、適切な賠償額の算定方法などが詳細に判断されています。

この事例を通して、交通事故による精神的疾患の賠償責任の考え方や、自営業者の損害算定方法について理解を深めていきましょう。

📋 事件の概要

今回は、大阪地方裁判所平成15年(ワ)5634号・平成17年6月6日判決を取り上げます。この裁判は、交通事故でうつ病を発症した原告が、加害者に対して損害賠償を求めた事案です。

  • 原告 :スナック経営者(事故当時56歳)
  • 被告1:加害車両の運転者
    被告2:加害車両の保有者・運行供用者
  • 事故状況:出会い頭の衝突事故。見通しの悪い信号のない交差点で、加害車が一時停止を怠り、制限速度超過で交差点に進入して原告車両と衝突。
  • 負傷内容:頭部外傷、打撲傷(右肩・右上腕・胸部・右膝)を負い、後にうつ病を発症。
  • 請求内容:3,000万円の損害賠償請求
  • 結果: 原告の請求を一部認容し、被告らに対して992万3812円の損害賠償支払いを命じた

🔍 裁判の経緯

突然右からトラックが飛び出してきたんです。」

被害者(原告)は初回の弁護士相談でそう語り始めた。見通しの悪い信号機のない交差点での出会い頭の衝突事故だった。この事故で頭部外傷などを負ったが、骨折はなかった。

最初は大したことないと思ったんですが、一週間後から変わりました。頭痛が続き、胸が痛む、眠れない…自分の店の開業20周年という大切な時期だったのに。」

また、原告は、スナック経営をしているが、仕事にも支障が出ているそうだ。
お客さんと話そうとしても言葉が出てこない。『奥に引っ込んでいろ』と言われる日も。自分のお店なのに、居場所をなくす感覚でした。」

そして、うつ病と診断された原告は、80日間の入院を余儀なくされた。
保険会社は『うつ病は事故と関係ない』と言い、たった40万円しか支払ってくれませんでした。でも事故がなければ、こんなふうになることはなかった…

原告はうつ病の発症は交通事故が原因だと主張。被告側は「うつ病は内因性の疾患」と因果関係を否定し、過失割合や損害額についても争いとなった。

※大阪地方裁判所平成15年(ワ)5634号・平成17年6月6日判決をもとに構成しています。

⚖️ 裁判所の判断

判決の要旨

裁判所は、原告のうつ病発症と本件事故との間に相当因果関係を認め、損害賠償請求を一部認容しました。

ただし、原告側に1割の過失相殺を行うとともに、うつ病の症状進行や治療の長期化については原告の心因的要素が相当影響しているとして、4割の素因減額を行いました。

最終解決額:約992万円

主な判断ポイント

1.うつ病発症と事故との因果関係を認めた

裁判所は、①原告が事故前は健康上特に支障なくスナックを経営していたこと、②事故直後から頭痛を訴え、まもなく不安感やイライラ感が出現し、客と満足に会話ができない状態になったこと、③事故の約1ヶ月後にカウンセリングを受け、うつ病レベルと診断されたことなどから、原告は本件事故を原因としてうつ病を発症したと認め、相当因果関係があると判断しました。

2.過失割合の判断(原告1割:被告9割)

裁判所は、被告のドライバーには、一時停止をし、交差道路を進行する車両の有無等を確認し、規制速度以内で進行すべき義務を怠った重大な過失が認められると判断しました。

一方、裁判所は、原告にも、交差道路を進行する車両の動静を注視して進行すべき義務を怠った過失が認められると判断しました。

そして、裁判所は、両者の過失割合を被告9割原告1割と認定しました。

3.素因減額の判断(4割減額)

裁判所は、原告の傷害自体は骨折等はなく、通常であれば比較的早期に治癒するような事故だったにもかかわらず、うつ病に罹患し症状が進行・長期化したことについては、原告の心因的要素(性格的な脆弱性)が相当影響していると判断し、民法722条2項の過失相殺の類推適用により、損害額の4割を減額しました。

4.損害額の算定(992万3812円)

休業損害については、原告の基礎収入を賃金センサスの7割である年388万8220円と認定し、労働能力喪失率を80%として311万円余りとしました。

後遺障害逸失利益については、基礎収入は同じく388万8220円、労働能力喪失率を35%(9級相当)、喪失期間を症状固定時から5年間として589万円余りと認定しました。

その他、傷害慰謝料180万円、後遺障害慰謝料610万円などの損害を認め、過失相殺、素因減額、損害のてん補を行う一方、弁護士費用を100万円と認定し、最終的に、裁判所は被告に対して992万3812円の支払いを命じました。

👩‍⚖️ 弁護士コメント

交通事故とうつ病の因果関係について

交通事故による精神的疾患(うつ病など)の賠償責任が認められるためには、事故との相当因果関係が必要です。本件では、事故前は健康に生活・就労していたこと、事故直後から頭痛が続き、まもなく精神症状が出現したこと、専門医の診断でうつ病と認定されたことなどから因果関係が認められました。

精神疾患の場合、身体的外傷と異なり、目に見える形で因果関係を証明することが難しいケースが多いです。そのため、事故前後の状況変化を詳細に記録し、専門医の診断書を取得することが重要です。また、症状と日常生活・就労への影響を具体的に示すことが、因果関係の立証では重要です。

素因減額について

素因減額とは、被害者側の心因的要因(例:性格)や体質的・身体的素因(例:既往症)が、損害の拡大に影響している場合に、公平の観点から損害賠償額を減額する考え方です。つまり、「被害者にあのような特徴がなければ、ここまで重症化しなかったであろう」といった場合に、加害者の責任を一部軽減する制度です。

本件では、外傷自体は軽微であったにもかかわらず重度のうつ病を発症し、治療が長期化したことから、原告の心因的要素を理由に4割もの素因減額が行われました。この判断は、うつ病など精神疾患の場合には、身体的外傷の場合と比較して素因減額が大きくなる傾向を示しています。

素因減額の程度は個別の事案により異なりますが、本判決は、うつ病の場合でも交通事故との因果関係を否定するのではなく、素因減額という形で調整する考え方を示した点で意義があります。被害者側としては、素因減額を最小限にするため、事故と症状の関連性を医学的に裏付ける証拠の収集が重要となります。

📚 関連する法律知識

交通事故による精神的疾患と因果関係

交通事故と精神的疾患との因果関係の判断では、以下のような点が考慮されます。

  • 事故前の精神状態(既往症の有無)
  • 事故と精神症状の発現時期の近接性
  • 症状の経過と事故との時間的・内容的関連性
  • 専門医による診断と因果関係についての医学的見解
  • 他の原因(環境要因など)の有無

なお、本件では、「うつ病は内因性の疾患であるため、事故との因果関係は認められない」という反論が被告側から出されていました。

この点について、裁判所は、裁判で提出された証拠をもとに「うつ病の発症に外因が原因となる場合があることは現在精神科領域でのコンセンサスとなっている」と認定し、被告側の反論をしりぞけています。

自営業者の休業損害・逸失利益の算定方法

自営業者の場合、給与所得者と異なり収入の立証が難しいことがあります。本判決では、以下の点が参考になります。

  • 確定申告上の収入額をそのまま採用せず、生活実態や扶養家族の状況から実際の収入を検討
  • 賃金センサス(同業種・同規模の平均的収入)を参照
  • 家族従業員の貢献度を考慮して調整

🗨️ よくある質問

Q1: 交通事故後のうつ病が認められるためには、どのような証拠が必要ですか?

A1: ①事故前の健康状態を示す資料、②事故直後からの症状経過の記録、③精神科医による診断書(因果関係についての医学的見解を含む)、④日常生活や就労への具体的影響を示す証言や資料などが重要です。また、⑤他の原因(職場環境の変化、家庭問題など)がないことを示すことも有効です。

Q2: 素因減額されないようにするには、どうすればよいですか?

A2: 素因減額を完全に避けることは難しい場合もありますが、①事故と症状の関連性を医学的に明確に立証すること、②既往症がない場合はそれを示す資料を提出することが重要です。また、③症状と事故の時間的近接性を示すこと、④日常生活への影響を具体的に示すこと、⑤専門医による「素因の影響は小さい」という見解を得ることも有効です。

Q3: 自営業者の休業損害はどのように計算されますか?

A3: 通常、①確定申告書の収入を参照することが多いですが、本判決のように、②実際の生活水準から推定される収入、③同業種・同規模の平均収入(賃金センサスなど)も比較検討し、最も合理的な金額を基礎収入として採用することもあります。また、家族従業員の貢献度も考慮され、原告本人の寄与分のみが算定の基礎となります。

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岡野武志弁護士

監修者


アトム法律事務所

代表弁護士岡野武志

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高校卒業後、日米でのフリーター生活を経て、旧司法試験(旧61期)に合格し、アトム法律事務所を創業。弁護士法人を全国展開、法人グループとしてIT企業を創業・経営を行う。
現在は「刑事事件」「交通事故」「事故慰謝料」などの弁護活動を行う傍ら、社会派YouTuberとしてニュースやトピックを弁護士視点で配信している。

保有資格

士業:弁護士(第二東京弁護士会所属:登録番号37890)、税理士

学位:Master of Law(LL.M. Programs)修了

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