「悪夢のフラッシュバック」交通事故によるPTSDの損害賠償を認めた事例 #裁判例解説

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「また、あの光が…」

病室で目を覚ました男は、冷や汗で寝巻を濡らした。夜の静寂を破る大声に、看護師が駆け込んでくる。

「大丈夫ですか?また、あの悪夢ですか?」

男は震える手で額の汗を拭いながら小さく頷いた。

「車のライトが急に現れて、衝突音が。僕は道路に投げ出されて…」

男の顔には恐怖の色が浮かんでいた。カルテには「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」の文字。

診察に訪れた精神科医は、静かに椅子に腰掛け、男の言葉に耳を傾ける。一見軽度に見えた交通事故が、男の心に深い傷を残していた—。

※函館地方裁判所平成13年11月21日判決(平成10年(ワ)211号)をもとに、構成しています。

この裁判例から学べること

  • 交通事故でも、心的外傷後ストレス障害(PTSD)が発症する可能性がある
  • PTSDは、事故による相当因果関係が認められれば賠償対象となり得る
  • 被害者の性格的素因が寄与する場合でも、全額否定されない可能性がある
  • 素因減額は、事案に応じて適切な割合(本件では3割)が適用される
  • 入通院慰謝料だけでなく、関連する休業損害も賠償範囲に含まれる

交通事故による損害賠償では、一般的に怪我の治療費や慰謝料が請求の中心です。しかし、精神的な症状による賠償金が発生するケースも、少なくありません。

今回ご紹介する裁判例は、一見すると重傷ではない交通事故でも、心的外傷後ストレス障害(PTSD)という深刻な精神疾患が発症し得ることを示した事例です。本件では、事故により被害者に生じたPTSDと事故との間に相当因果関係が認められ、被害者の性格的素因を考慮した上で3割の減額はあったものの、約321万円の損害賠償が認められました。

この事例を通じて、交通事故による精神的後遺症がどのように法的に評価されるか、また精神的素因がある場合の損害賠償の範囲について理解を深めていきましょう。

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📋 事案の概要

今回は、函館地方裁判所平成13年11月21日判決(平成10年(ワ)211号)を取り上げます。 この裁判は、交通事故により被害者がPTSDを発症したとして、加害者に対して損害賠償を請求した事案です。

  • 原告:退職後、実家に戻る途中で事故に遭った20代男性。
  • 被告:対向車線を走行していた加害車両の運転手。事故当時、酒気帯び運転だった。
  • 事故状況:原告がガス欠で停車しそうな車を押して移動させようと、自動車の外に立っていたところ、酒気帯び運転の被告の車が対向車線からはみ出して、原告に衝突。
  • 負傷内容:頸椎捻挫、臀部挫傷、右肘関節部挫創、背部挫創、左手挫創、左環指異物、左足部挫創に加え、PTSDを発症。
  • 請求内容:原告は被告に対して、治療費、通院交通費、入院雑費、休業損害、慰謝料の合計約846万円の賠償を求めた。
  • 結果:原告の性格的素因による3割減額を適用して、裁判所は被告に対して約321万円の支払いを命じた。

🔍 裁判の経緯

「突然、強烈なライトが目の前に現れて、それから衝撃音と共に体が吹き飛ばされた…」

原告は、派遣会社を退職し、新しい仕事に就くため、自家用車で実家に戻る途中でした。
深夜1時過ぎ、国道でガス欠となり、車を路肩に寄せようと車外に出たところ、対向車線から被告の車が酒気帯び運転ではみ出してきて衝突したのです。

「事故から数週間後、眠れなくなりました。夢の中で強烈なライトの光や衝撃音を何度も体験し、大声を上げて目が覚めるんです。車のライトを見たり、ブレーキ音を聞いたりするだけで体が硬直して外出もできなくなりました。」

整形外科での治療を続けていた原告は、不眠や恐怖症状が1か月以上続いたため、医師に相談し精神科を紹介されます。

「フラッシュバックと言うんでしょうか、事故現場を何度も再体験するような感覚に襲われて。特に夜になると恐怖心が強くなります。」

精神科での診察の結果、症状の悪化から入院治療が必要と判断されました。入院中も睡眠障害や悪夢が続き、些細なことで怒りっぽくなったり、自殺念慮も見られたため、閉鎖病棟での治療を受けることになりました。

「一日も早く社会復帰したい。この恐怖から解放されたい」と治療に専念し、約2か月の入院を経て、退院。

退院後は、通院しながら薬物療法と精神療法を受けました。退院直後は外出もできない状態でしたが、徐々に回復し、事故から約1年4か月後にようやく治療が終了しました。

これらの症状について、精神科医は事故による「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」と診断しています。

原告は、この精神疾患による通院・入院治療費、休業損害なども含めた損害賠償を求めて提訴しました。

※函館地方裁判所平成13年11月21日判決(平成10年(ワ)211号)をもとに、構成しています。

⚖️ 裁判所の判断

判決の要旨

裁判所は、原告に発症した精神疾患について「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」と認定し、本件事故との間に相当因果関係があると判断しました。

ただし、損害の公平な分担の見地から、損害額全体から3割を減額し、約321万円の支払いを命じました。

主な判断ポイント

1.PTSDの診断と事故との因果関係

裁判所は、原告の症状が「米国精神医学会による精神疾患の診断・統計マニュアル第四改訂版(DSM-IV)」のPTSD診断基準を満たしていると認定しました。

事故前には見られなかった症状が事故後1か月以内に発現し、1か月以上持続していること、不眠・悪夢等の睡眠障害、易怒的症状、本件事故の再体験症状、外傷と関連した刺激の回避等が認められること、本件事故が死の危険を感じる程度の脅威体験であったこと等からDSM-4の診断基準(A~F)を満たすとともに、長期にわたり診察治療した専門医の確定診断があること等を理由に、事故とPTSDの間に相当因果関係があると判断しました。

2.損害の公平な分担の見地からの減額

PTSDは恐怖体験で引き起こされる心因性の症状であり、本人の性格傾向や遺伝的素因および養育環境等の様々な因子が寄与するものであること、交通事故によるPTSD発症が稀であることから、原告の性格的素因が発症に多分に寄与していると推認できること等を考慮して、裁判所は素因減額をしました。

被告が負担する損害額について、3割の減額が相当と判断しました。

3.休業損害の認定

原告は事故当時人材派遣会社を退職して、実家から通える会社への再就職のために移動中でした。

再就職先の給与は未定でしたが、原告の採用は約束されていたことを加味して、再就職予定日から治療終了までの463日間について、以前の勤務先の給与を基礎に休業損害が認められました。

原告の主張事故日からPTSDの治療終了までの742日分。
賃金センサス(425万6,700円)を基礎に計算。

425万6,700円÷365日×472日
=550万4,554円
被告の主張退職中の事故なので、休業損害は発生しない。
裁判例の結論再就職予定日からPTSDの治療終了までの463日分。
以前の勤務先の月額(約18万円)を基礎に計算。

18万円×12か月÷365日×463日
=273万9,945円

👩‍⚖️ 弁護士コメント

PTSDと交通事故の因果関係について

交通事故によるPTSDの発症は比較的稀なケースですが、本裁判例は(1)DSM-IVの診断基準の6要素(A~F)を充足すること、及び(2)長期にわたり診察をおこなった専門医の確定診断があることを根拠に、PTSDが認められた事例として価値があります。

DSM-4の診断基準(A~F)

本裁判例で用いられたDSM-IVによる6つの診断基準(A~F)は、以下のとおりです。

黄色い部分をタップすると、より詳しい判断基準と本裁判例で評価された事情をご覧になれます。

A 外傷的な出来事に遭遇(暴露)


患者は、以下2つが共に認められる外傷的な出来事に暴露されたことがある。

1.実際にまた危うく死ぬまたは重傷を負うような出来事を、一度または数度、または自分または他人の身体の保全に迫る危険を、患者が体験し、目撃し、または直面した。

2.患者の反応は強い恐怖、無力感または戦慄に関するものである。


ー【本裁判例の場合】ーーーー
本裁判例の事案は、「前方の対向車線方向から、突然不覚に、強烈な車のライトが現れて自己の顔を照らされ、車同士が衝突する衝撃音を聞くと同時に、身体に強い衝撃を受け、道路上に跳ね飛ばされて一時意識を喪失」するような事故態様は、「原告にとって本件事故体験は十分に死の危険を感じる程度の脅威」といえ、Aを充足する。

B フラッシュバック等での再体験


外傷的な出来事が、以下の一つ(またはそれ以上)の形で再体験され続けていること。

1.出来事の反復的で侵入的で苦痛な想起で、それは心像、思考、または知覚を含む。

2.出来事についての反復的で苦痛な夢。

3.外傷的な出来事が再び起こっているかのように行動したり、感じたりする(その体験を再体験する感覚、錯覚、幻覚、および解離性フラッシュバックのエピソードを含む。また、覚醒時または中毒時に起こるものを含む)。

4.外傷的出来事の一つの側面を象徴し、または類似している内的または外的きっかけに暴露された場合に生じる、強い心理的苦痛。

5.外傷的出来事の一つの側面を象徴し、または類似している内的または外的きっかけに暴露された場合の生理的反応性。

ー【本裁判例の場合】ーーーー
本裁判例の事案は、悪夢(強烈なライトの光や衝撃音などの夢)やフラッシュバック、夜間に睡眠中大声をあげることが度々あること、特に夜になると恐怖心が強くなることなどが認められ、Bを充足する。

C 回避行動・感情の麻痺


以上の三つ(またはそれ以上)によって示される、(外傷以前には存在していなかった)外傷と関連した刺激の持続的回避と、全般的反応性の麻痺があること。

1.外傷と関連した思考、感情または会話を回避しようとする努力。
2.外傷を想起させる活動、場所または人物を避けようとする努力。
3.外傷の重要な側面の想起不能。
4.重要な活動への関心または参加の著しい減退。
5.他の人から孤立している、または疎遠になっているという感覚。
6.感情の範囲の縮小(例‥愛の感情を持つことができない)。
7.未来が短縮した感覚(例‥仕事、結婚、子供、または正常な一生を期待しない)。

ー【本裁判例の場合】ーーーー
本裁判例の事案では、「車の音(ブレーキ音)や物音(衝撃音)、車のライトに敏感に反応して恐怖心が出現し、そのため外出できないこと」、「抑うつ症状」、「自殺念慮」がみられること等から、Cを充足する。

D 覚醒亢進症状(不眠・怒りの爆発等)


(外傷以前には存在していなかった)持続的な覚醒亢進症状で、以下の二つ(またはそれ以上)によって示されること。

1.入眠または睡眠持続の困難
2.易刺激性または怒りの爆発
3.集中困難
4.過度の警戒心
5.過剰な驚愕反応

ー【本裁判例の場合】ーーーー
本裁判例の事案では、本件事故前にはみられなかった不眠や悪夢等の睡眠障害、易怒的症状(ささいなことで怒りっぽくなり、大声を出したり、暴力をふるう等の衝動行為)等が認められるため、Dを充足する。

E 障害の持続期間が1か月以上


障害(基準B、C、およびDの症状)の持続期間が1か月以上あること。

ー【本裁判例の場合】ーーーー
本裁判例では、B、C、Dの症状の持続期間が1か月以上あるため、Eを充足する。

F 臨床的意義(生活等への支障)


障害は、臨床的に著しい苦痛または、社会的、職業的または他の重要な領域における機能の障害を引き起こしていること。
該当すれば特定せよ
 急性:症状の持続期間が三か月末満の場合
 慢性:症状の持続期間が三か月以上の場合
該当すれば特定せよ
 発症遅延:症状の始まりがストレス因子から少なくとも六か月の場合。

ー【本裁判例の場合】ーーーー
本裁判例では、本件事故後1か月以内に発現し、恐怖心などの著しい苦痛や、外出できない・人前に出られない等の支障が生じているため、Fを充足する。

本裁判例から言えること

精神疾患の立証は困難を伴いますが、本裁判例から言えることは、専門医による長期の診察と、一定の診断基準にのっとった確定診断が重要ということでしょう。

交通事故の被害者がPTSD様の症状を感じた場合、早期に精神科医の診察を受け、症状の経過を詳細に記録し、症状名の確定診断をもらうことが重要です。

なお、精神疾患の診断基準として、現在、DSM-5-TRが最新ですが、使用する診断基準はケースにより異なるでしょう。

素因減額の考え方

本判決では「損害の公平な分担」という観点から3割の減額が適用されました。注目すべきは、裁判所が「素因があるから」と全額否定するのではなく、事案に応じた適切な素因減額の割合が採用された点です。

素因減額の割合の判断には、被害者の性格的素因が多分に寄与していることに言及する一方で、①事故前の精神疾患の既往歴がないこと、②請求内容が積極損害、入通院慰謝料、休業損害のみであること、③被害者自身が社会復帰を望み治療に積極的であったこと等の事情も考慮されました。

これは、被害者の「素因」が介在する場合でも、加害者の責任を過度に軽減しないという均衡のとれた判断と評価できます。素因減額が問題となるケースでは、被害者側の事故前の状況や治療への姿勢なども立証に重要となります。

📚 関連する法律知識

PTSDとは

心的外傷後ストレス障害(PTSD)とは、強い精神的外傷(例:自然災害、戦争体験、事故、強盗や強姦の被害・目撃など)を受けた後に、現れる精神症状のことです。

心的外傷の直後に生じる急性反応ではなく、外傷経験から1、2週間ないし数か月経てから発症する(遷延反応)といわれています。

主な症状は、①外傷体験の再体験(悪夢やフラッシュバック)、②関連刺激の回避、③覚醒亢進(過度の警戒心や睡眠障害)などがあります。交通事故のような生命を脅かす出来事が引き金になることもあります。

損害賠償における素因減額

「素因減額」とは、交通事故などの賠償問題において、被害者の体質的・精神的な事情が損害の発生・拡大に影響した場合に、損害の公平な分担の観点から、賠償額を減額することをいいます。

ただし、素因があるというだけで当然に減額されるわけではなく、以下のような事情が考慮されます。

  • 被害者の素因の寄与度・程度
  • 被害者の既往症の有無
  • 加害行為のみによって通常発生する損害の程度や範囲
  • 請求されている損害の種類・内容
  • 被害者の治療への姿勢

休業損害の認定基準

交通事故による休業損害は、事故と相当因果関係のある就労不能期間について認められます。

本件のように転職中であり現実の収入がない場合でも、事故がなければ就労していたと認められるときは、以前の収入や再就職先の予定収入を基礎に算定される可能性があるでしょう。

就労の見込みが具体的であったかどうかも重要なポイントとなります。

🗨️ よくある質問

Q1:交通事故でPTSDが発症した場合、どのような治療費が補償されますか?

A1:PTSDと事故との因果関係が認められれば、精神科での治療費、投薬費用、通院交通費などが補償対象となり得ます。本判決のように、入院が必要な場合は入院費用や入院雑費も対象となり得ます。

Q2:事故前から精神的に不安定だった場合、PTSDの賠償請求はできないのですか?

A2:事故前から精神的不安定さがあったとしても、それだけで賠償請求が否定されるわけではありません。事故と症状との間に相当因果関係が認められれば、素因減額(本件では3割)が適用されたとしても、一定程の賠償は受けられるでしょう。

Q3:PTSDの症状が現れたとき、どのような証拠を残しておくべきですか?

A3:症状の記録(日記など)、精神科医の診断書、カウンセリング記録、投薬記録などが重要です。また、症状による日常生活や就労への影響も記録しておくと、休業損害などの立証に役立ちます。早期に専門医の診察を受け、継続的な治療記録を残すことが賠償請求を進める上で、非常に大切です。

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岡野武志弁護士

監修者


アトム法律事務所

代表弁護士岡野武志

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高校卒業後、日米でのフリーター生活を経て、旧司法試験(旧61期)に合格し、アトム法律事務所を創業。弁護士法人を全国展開、法人グループとしてIT企業を創業・経営を行う。
現在は「刑事事件」「交通事故」「事故慰謝料」などの弁護活動を行う傍ら、社会派YouTuberとしてニュースやトピックを弁護士視点で配信している。

保有資格

士業:弁護士(第二東京弁護士会所属:登録番号37890)、税理士

学位:Master of Law(LL.M. Programs)修了

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