岡野武志弁護士

第二東京弁護士会所属。刑事事件で逮捕されてしまっても前科をつけずに解決できる方法があります。

「刑事事件弁護士アトム」では、逮捕や前科を回避する方法、逮捕後すぐに釈放されるためにできることを詳しく解説しています。

被害者との示談で刑事処分を軽くしたい、前科をつけずに事件を解決したいという相談は、アトム法律事務所にお電話ください。

アトムは夜間土日も受け付けの相談窓口で刑事事件のお悩みにスピーディーに対応いたします。

生活保護の不正受給で逮捕—収入を届け出なかったら詐欺罪? #裁判例解説

更新日:
生活保護

「被告人を懲役一年六月に処する。ただし、この裁判確定の日から三年間、右刑の執行を猶予する」

法廷に裁判長の声が響いた。傍聴席に座る被告人の妻は、夫の背中を見つめながら、この6年間の出来事を思い返していた。

シベリア抑留から帰還し、病弱な体で二人の子供を育ててきた。生活保護を受けながらも、妻がパートで得た収入の一部を届け出なかった。その額、約100万円—。

「自立したかっただけなんです…」

被告人の言葉は、法廷の空気を重くした。

※東京地判昭和47年8月4日(昭和45年(刑わ)1272号)をもとに、構成しています

この裁判例から学べること

  • 生活保護の不正受給は、詐欺罪として逮捕・起訴される可能性がある
  • 収入の届出義務は「法律上の義務」であり、違反は犯罪となり得る
  • 生活苦という動機があっても、期待可能性や違法性は否定されない
  • 行政処分(返還命令等)を経ずに突然逮捕されることもある

生活保護の不正受給は、近年も社会問題として注目されています。収入の一部を届け出ず、本来受給できない額の保護費を受け取り続けた場合、どのような法的責任が生じるのでしょうか。

今回ご紹介する裁判例は、昭和47年に東京地方裁判所で下された判決です。シベリア抑留から帰還後、病弱な体で家族を養うため生活保護を受けていた男性が、妻のパート収入の一部を届け出ずに約100万円を不正に受給し、詐欺罪で逮捕・起訴されました。

この事例は、生活保護法の届出義務の法的性質、不作為による詐欺罪の成立、そして生活苦を理由とする「期待可能性」の抗弁が認められるかという重要な法的論点を含んでいます。逮捕から判決に至るまでの経緯を詳しく見ていきましょう。

📋 事案の概要

今回は、東京地判昭和47年8月4日(昭和45年(刑わ)1272号)を取り上げます。

この裁判は、生活保護受給者が妻の収入を過少申告し、約6年間にわたり保護費を不正に受給したとして、詐欺罪で逮捕・起訴された事例です。

  • 被告人:団体役員の男性
    • シベリア抑留から帰還後、病弱で生活苦に陥り生活保護を受給
    • 妻と2人の子供を抱える4人家族
  • 結果:懲役1年6月、執行猶予3年の有罪判決

🔍 裁判の経緯

被告人の人生は、戦争によって大きく狂わされました。

「昭和16年に軍に召集され、終戦後はシベリアで4年間も抑留されました。昭和24年にようやく帰還できましたが、『シベリア帰り』という烙印を押されて、どこも雇ってくれなかったんです」

福島県で菓子卸の手伝いや炭運搬などをしながら、妻と結婚し二人の子供をもうけました。しかし、膵臓病や肋骨骨折後の神経痛に悩まされ、十分に働くことができませんでした。

「昭和31年に上京して、妻と二人で空箱回収業を始めてみました。でも体が思うように動かず、2年で廃業するしかありませんでした」

昭和33年10月、やむなく生活保護の申請をしました。その後も昭和39年には胃の切除手術を受けるなど、健康状態は回復しませんでした。

妻は昭和35年から会社の清掃係としてパートで働き始めました。昭和39年1月、妻の月平均収入として約1万4,500円を届け出ましたが、実際の収入はそれより多かったのです。

「保護基準だけでは生活が苦しかったんです。育ち盛りの子供たちに、まともに食べさせることもできませんでした。麦を主食にしても、月のうち20日分しか食費をまかなえない。私は自分の食事を減らして、妻や子供に食べさせていました」

被告人は、将来の自立更生に備えたいという思いから、妻の収入の変動を届け出ませんでした。その後も虚偽の収入申告書を提出するなどして、昭和39年12月から昭和45年1月まで、約6年間にわたり不正に保護費を受給し続けました。

その総額は、約100万円に上りました。

昭和45年、不正受給が発覚。被告人は就職の見通しをつけ、保護辞退の手続きをしましたが、行政上の返還命令などの措置が取られる前に、突然逮捕されました。福祉事務所への事前連絡もないままの逮捕でした。

※東京地判昭和47年8月4日(昭和45年(刑わ)1272号)をもとに、構成しています

⚖️ 裁判所の判断

判決の要旨

東京地方裁判所は、被告人の行為は刑法246条1項の詐欺罪に該当するとして、懲役1年6月、執行猶予3年の判決を言い渡しました。

裁判所は、被告人の生活苦や自立更生への願いを情状として十分に考慮しながらも、不正受給行為の違法性を明確に認定しました。

主な判断ポイント

1. 生活保護法の罰則と詐欺罪の関係

弁護人は、生活保護法85条に不正受給に対する罰則があるため、刑法の詐欺罪は適用されないと主張しました。

しかし裁判所は、生活保護法85条但書に「刑法に正条があるときは刑法による」と明文で規定されていることを指摘しました。不正受給行為が詐欺罪の構成要件に該当する場合は、刑法246条が優先適用されると判断しました。

2. 収入届出義務の法的性質

弁護人は、生活保護法61条の届出義務は「道義的・訓示的な義務」にすぎないと主張しました。

これに対し裁判所は、次のように判断しました。

保護の実施機関には職権調査の義務がありますが、被保護者の社会的信用や就労への悪影響を考慮すると、職権調査は控えざるを得ない実情があります。

そのため、被保護者の届出は「適正な保護の実施のために欠かせないもの」であり、「単に道義的、訓示的な意味の義務ではなく法律上の義務」と解すべきだと述べました。

3. 不作為による詐欺罪の成立

裁判所は、「保護の実施機関が被保護者の収入状態を過少に誤認しているのに乗じ、届出義務に違反して敢て収入の届出をなさず、よつて不正な額の保護費を受給する場合には、収入の届出をしないという不作為が詐欺罪における欺罔行為となりうる」として、不作為による詐欺罪の成立を認めました。

4. 期待可能性・可罰的違法性の否定

弁護人は、被告人の極度の生活苦を理由に、適法行為の期待可能性がない、または可罰的違法性がないと主張しました。

裁判所は、被告人の生活苦を「十分にこれを諒解することができ」「人間自然の情として理解するにやぶさかではない」と述べつつも、次のように判示しました。

「生活保護により生活している者は、ひとり被告人だけではないのであり、世間には被告人と同様の生活苦にあえいできた者は数多く存在している」「生活保護受給者のほとんどが収入の届出をなし得なかつたものとはとうてい考えられない」として、期待可能性がないとの主張を退けました。

また、「乏しきことは憂うべきであるが、等しからざることもまた憂うべきことである」(”貧しいことは問題だが、不公平であることもまた問題だ”の意)と述べ、不正受給を容認すれば、無差別・平等の原則に反し、まじめな生活保護受給者への誤解を招くとも指摘しました。

5. 刑事手続開始の適法性

弁護人は、行政上の措置(返還命令等)を経ずに突然逮捕されたことは違法だと主張しました。

裁判所は、「本件の刑事手続の開始にあたつては以上の運用上の配慮にかけた点があつたことは否定できない」と認めつつも、「前もつて、行政上の指導や措置をへるのをまたないで刑事手続が開始されたとしてもそのことから直ちに刑事手続が違法となるものではない」と判断しました。

👩‍⚖️ 弁護士コメント

不正受給と「逮捕」のリスク

本件は、生活保護の不正受給が詐欺罪として刑事事件化され、実際に逮捕に至った事例です。

生活保護法85条には不正受給に対する罰則(3年以下の拘禁刑または100万円以下の罰金)が定められていますが、本判決は、詐欺罪の構成要件に該当する場合は刑法246条(10年以下の拘禁刑)が優先適用されることを明確にしました。

つまり、不正受給の態様によっては、より重い詐欺罪で逮捕・起訴される可能性があるということです。

「生活が苦しかった」は通用するか

本判決で注目すべきは、被告人の悲惨な生活状況が詳細に認定されながらも、期待可能性や可罰的違法性の欠如という主張が退けられた点です。

裁判所は、同様に苦しい生活を送る多くの生活保護受給者が正直に届出をしている事実を指摘し、「乏しきことは憂うべきであるが、等しからざることもまた憂うべきことである」という格言を引用して、不正受給の違法性を強調しました。

生活苦という事情は、量刑における情状として考慮されることはあっても、犯罪の成立そのものを否定する理由にはならないのです。

突然の逮捕—行政処分なしでも起訴される

本件では、福祉事務所から返還命令などの行政処分が出される前に、事前連絡もなく突然逮捕されました。弁護側はこの点を問題視しましたが、裁判所は「運用上の配慮に欠けた点があった」と認めつつも、刑事手続自体は適法と判断しました。

これは、不正受給が発覚した場合、行政上の対応を待たずに刑事手続が開始されるリスクがあることを示しています。被告人は就職の見通しをつけて保護辞退の手続きまでしていたにもかかわらず、逮捕によってその就職先も失ってしまいました。

📚 関連する法律知識

生活保護法61条(届出の義務)

生活保護法61条は、被保護者に対し、収入、支出その他生計の状況について変動があった場合には、速やかに保護の実施機関に届け出る義務を課しています。

本判決は、この届出義務が単なる訓示規定ではなく「法律上の義務」であることを明確にしました。この義務に違反して収入を届け出なかった場合、不作為による詐欺罪が成立し得ます。

不作為による詐欺罪

詐欺罪は通常、積極的な欺罔行為(嘘をつく行為)によって成立しますが、法律上の告知義務がある場合には、真実を告げないという「不作為」によっても成立します

本件では、福祉事務所が妻の収入を過少に認識していることを知りながら、あえて正しい収入を届け出なかったことが、不作為による欺罔行為と認定されました。

生活保護法85条と刑法246条の関係

生活保護法85条は、不正の手段により保護を受けた者に対する罰則を定めていますが、但書で「刑法に正条があるときは刑法による」と規定しています。

本判決は、詐欺罪の構成要件に該当する不正受給行為には、刑法246条が優先適用されることを確認しました。

🗨️ よくある質問

Q1:生活保護の不正受給で逮捕されることは実際にあるのですか?

A1:はい、あります。

本件のように、収入を過少申告して保護費を不正に受給した場合、詐欺罪として逮捕・起訴される可能性があります。特に不正受給額が高額であったり、長期間にわたる場合は、刑事事件として扱われるリスクが高まります。

Q2:収入が増えた場合、いつまでに届け出る必要がありますか?

A2:生活保護法61条は「すみやかに」届け出ることを求めています。

具体的な期限は法律に明記されていませんが、収入に変動があった場合は、次回の保護費支給日までには届け出るべきでしょう。届出を怠ると、本件のように不作為による詐欺罪が成立する可能性があります。

Q3:不正受給が発覚した場合、まず行政処分があってから刑事手続になるのですか?

A3:必ずしもそうではありません。本件では、行政上の返還命令等が出される前に逮捕されました。裁判所は「運用上の配慮に欠けた」と指摘しつつも、刑事手続は適法と判断しました。

不正受給が発覚した場合は速やかに弁護士などの専門家に相談することをお勧めします。

🔗 関連記事

0120-215-911刑事事件でお困りの方へ

無料相談予約
ご希望される方はこちら

24時間365日いつでも全国対応

※無料相談の対象は警察が介入した刑事事件加害者側のみです。
警察未介入のご相談は原則有料となります。

岡野武志弁護士

監修者


アトム法律事務所

代表弁護士岡野武志

詳しくはこちら

高校卒業後、日米でのフリーター生活を経て、旧司法試験(旧61期)に合格し、アトム法律事務所を創業。全国15拠点を構えるアトム法律グループの代表弁護士として、刑事事件・交通事故・離婚・相続の解決に注力している。
一方で「岡野タケシ弁護士」としてSNSでのニュースや法律問題解説を弁護士視点で配信している(YouTubeチャンネル登録者176万人、TikTokフォロワー数69万人、Xフォロワー数24万人)。

保有資格

士業:弁護士(第二東京弁護士会所属:登録番号37890)、税理士、弁理士

学位:Master of Law(LL.M. Programs)修了