夫が給料明細を見せない!経済的DVで離婚と慰謝料請求は認められる? #裁判例解説
「ねえ、今月の給料いくらだったの?」
妻はおそるおそる尋ねた。しかし夫は、いつものように曖昧に答えるだけだった。
「十分渡してるだろ。それでやりくりしてくれ」
結婚してから一度も給料明細を見せてもらったことがない。夫の年収がいくらなのか、ボーナスがあるのかさえ分からない。
渡される生活費で何とかやりくりしているが、本当にこの額が適正なのか、判断のしようがなかった。
「もしかして、私の知らないところで貯金を隠しているんじゃ…」
不信感は日に日に募っていった。そして12年後、妻は子ども3人を連れて家を出た。
※東京家判平成28年4月27日(平成26年(家ホ)522号・811号)、東京高判平成28年10月13日(平成28年(ネ)2972号)をもとに、構成しています
この裁判例から学べること
- 給料明細を見せないことだけでは離婚事由や経済的DVには該当しない
- 経済的DVと認定されるには渡された金額の妥当性と使途の自由度が重視される
- 別居前に婚姻費用分担調停を申し立てることで生活費を確保できる
- 弁護士会照会や調査嘱託で夫の収入を調査できる可能性がある
「夫が給料明細を見せてくれない」「家計の実態が把握できず不安」という悩みを抱える方は多くいらっしゃいます。
夫の収入が分からないまま渡される生活費で何とかやりくりしているものの、この金額は適正なのか、もしかして財産を隠しているのではないかと不信感を募らせている方もいるでしょう。
今回ご紹介する裁判例は、まさにそのような状況から離婚に至った夫婦の事案です。
本件を通じて、給料明細を見せない行為の法的評価、経済的DVの判断基準、収入が分からない場合の対処法について詳しく解説していきます。
📋 事案の概要
今回は、東京家判平成28年4月27日(平成26年(家ホ)522号・811号)および東京高判平成28年10月13日(平成28年(ネ)2972号)を取り上げます。
この裁判は、12年間別居した夫婦について、夫が妻に対して離婚を求めて提訴し、妻が反訴で「夫が給料明細を見せず経済的DVを受けた」として離婚とともに慰謝料・損害賠償・財産分与を請求した事案です。
- 当事者
原告(夫):有限会社勤務。婚姻当初は給料を全額妻に渡していたが、平成3年頃から家計管理方法を変更。
被告(妻): 専業主婦として3人の子どもを養育。 - 婚姻・別居の経緯:平成2年7月婚姻、平成12年に夫婦関係調整調停成立、平成16年4月妻が子供を連れて別居、平成17年8月婚姻費用分担調停成立
- 請求内容
夫(本訴):離婚請求
妻(反訴):離婚請求、慰謝料1200万円、損害賠償2523万円、財産分与1259万円
🔍 裁判の経緯
妻は夫から給料明細を見せてもらったことがない。 給料日になると決まった額の現金を渡されるだけで、夫の年収すら把握できていなかった。
「これじゃ足りない…結婚前の貯金を使うしかない」
妻はそう感じ、日々の支出を家計簿に記録し始めた。
平成12年には夫婦関係調整調停を申し立て、「夫は妻が求めたときは給与の支出明細表を交付する」という条項が盛り込まれたが、実際にこの約束が守られることはなかった。
平成14年11月から本格的につけ始めた家計簿の冒頭には、後日こう書き加えた。
平成2年~平成8年 夫から手渡された金額→1万円のみ
足りない生活費は自腹と実家からの援助
平成16年4月30日、妻は3人の子どもを連れて家を出た。別居後、平成17年8月には婚姻費用分担調停が成立した。
それから12年。別居生活が続く中、夫が離婚調停を申し立て、調停不成立を経て訴訟に発展した。
「私は被害者です。夫は給料明細を見せず、月1万円しか渡しませんでした。経済的DVです。結婚式の費用も、生活費の不足分も、全部私の貯金から出さざるを得なかった」
妻は訴えた。証拠として、数々のメモやノート、家計簿を提出した。
しかし法廷では、予想外の展開が待っていた。
夫側の弁護士が、信用金庫の通帳記録を次々と示していく。通帳には、月20万円から30万円程度が入金されていた記録が残っていた。
「この通帳を見てください。平成14年2月1日には27万円が入金され、8万円が出金されています。出金記録の横には『家計費』と手書きされています」
さらに決定的な指摘がなされた。
「家計簿の『夫から手渡された金額→1万円のみ』という記載ですが、この文字の太さや筆跡は、他の部分と明らかに異なっていますね。これは後から追記したものではありませんか?」
妻の主張は、客観的証拠の前に崩れていった。
※東京家判平成28年4月27日(平成26年(家ホ)522号・811号)、東京高判平成28年10月13日(平成28年(ネ)2972号)をもとに、構成しています
⚖️ 裁判所の判断
判決の要旨
第一審の東京家庭裁判所は、離婚を認めましたが、「本件婚姻自体が不法行為に該当するという被告の主張を認めることはできない」として妻の主張する経済的DVを認めず、慰謝料・損害賠償請求を棄却しました。
控訴審の東京高等裁判所も、「日常的に、経済的、精神的なドメスティック・バイオレンス(DV)を継続したという事実関係を認めることはできない」と判断し、第一審の判断を支持しました。
ただし財産分与については、対象財産を再評価し、第一審の105万円から199万5538円に増額しました。
主な判断ポイント
給料明細を見せないことと経済的DVの関係
裁判所は、給料明細を見せないこと自体を問題視するのではなく、実際に渡されていた生活費の額と、妻の家計管理における裁量の有無を重視しました。
本件では、信用金庫の通帳記録から、生活費として毎月20万円から30万円程度の金額が渡されており、妻が必要に応じて預金を引き出していたこと、カードでの買い物が月4~8万円あり、趣味や遊興費の支出もあったことが認められました。
このことから、被告には家計に関する裁量があったと判断され、経済的DVには該当しないとされました。
調停での合意と家計管理の実態
平成12年10月に成立した夫婦関係調整調停では、「原告は、被告が求めたときは、原告作成にかかる給与の支出明細表を被告に交付する。また、被告は、被告作成にかかる家計簿を原告が参照することを承諾する」という条項が設けられていました。
この条項について、裁判所は「控訴人が家計簿を管理し、被控訴人が自由にこれを閲覧できる状況になかったことがうかがわれ、控訴人が陳述書に載するように日々金銭の使い道を子細に確認し、口うるさく注意していたような事実は認められない」と評価しました。
つまり、妻側が主張するような「夫による細かな家計チェックと経済的支配」という構図は認められなかったのです。
👩⚖️ 弁護士コメント
給料明細を見せない行為の法的評価
この裁判例が示す最も重要なポイントは、給料明細を見せないことだけでは、離婚事由や経済的DVには該当しないということです。
法律上、夫婦には婚姻費用分担義務(民法760条)がありますが、給料明細の開示義務までは明文で定められていません。
平成12年の調停で「被告が求めたときは給与の支出明細表を交付する」という条項が設けられましたが、これは調停で特別に合意されたものです。
裁判所が重視したのは、以下の2点です。
- 渡されている生活費の額が客観的に妥当か
- 家計管理における配偶者の裁量があるか
逆に言えば、給料明細を見せなくても、渡している生活費が十分で、配偶者に合理的な裁量がある限り、法的問題とはならないのです。
経済的DVと認定されるには
経済的DVとして認定されるのは、渡される金額が著しく不足し、かつ使途について極端な制限や監視があるなど、配偶者の経済的自由が実質的に奪われている状態であることが必要です。
経済的DVの具体例
- 夫の収入に対して著しく少額
- 子どもの教育費、医療費など必要不可欠な支出ができない
- レシートを全て提出させ、1円単位で追及する
- 許可なく買い物をすると暴言を吐く、罰を与える
- 配偶者の就労を妨害し、経済的に依存せざるを得ない状態にする
- 配偶者名義の口座やカードを取り上げる
- 離婚を切り出すと「生活費を渡さない」と脅す
このような状況があり、客観的証拠で立証できる場合には、経済的DVとして慰謝料請求や離婚事由が認められる可能性があります。
本件では、月20~30万円が渡され、カードでの買い物や預金の引き出しも自由にできたため、「家計に関する裁量があった」と判断され、経済的DVには該当しませんでした。
夫の収入が分からない場合の実践的対処法
給料明細を見せてもらえず、夫の収入が分からないという状況で、どう対処すべきでしょうか。
まずは、話し合いで開示を求めましょう。
冷静に、家計の見通しを立てるために収入を教えてほしいと伝えます。
「あなたを疑っているわけではなく、将来の教育費や住宅購入のために家計を見直したい」など、建設的な理由を示すことが重要です。
もし話し合いが難しい場合には、家庭裁判所の調停という手段があります。婚姻費用分担調停や夫婦関係調整調停などを利用でき、調停では裁判所が当事者に資料の提出を促してくれます。
法的手続きによる収入調査
任意の開示が得られない場合、以下の方法で調査が可能です。
| 方法 | ポイント |
|---|---|
| 課税証明書・納税証明書の取得 | 市区町村役場で課税証明書が取得できますが、別居後は本人以外取得できません。 |
| 弁護士会照会(23条照会) | 弁護士会を通じて勤務先や金融機関に照会できますが、相手に知られます。 |
| 裁判での調査嘱託 | 裁判になれば裁判所が勤務先等に公的に照会するため、確実に把握できます |
| 裁判での文書提出命令 | 裁判で相手に収入書類の提出命令を出してもらえます。 |
婚姻費用分担調停の重要性
本件でも、妻は別居の約1年4ヶ月後に婚姻費用分担調停が成立しています。
婚姻費用とは、夫婦と子どもの生活費のことで、別居中であっても収入の多い方が少ない方に分担する義務があります(民法760条)。
別居後は、速やかに婚姻費用分担調停を申し立てることで、生活費を法的に確保できます。
婚姻費用は申立て時から支払義務が生じるため、早期の申立てが重要です。
財産分与における開示請求と証拠収集
本件では、妻が「夫が1000万円超の財産を隠匿している」と主張しましたが、証拠不十分として認められませんでした。
財産分与を有利に進めるためには、証拠収集が非常に重要です。
別居前の証拠収集が決定的に重要
別居してしまうと、相手方の財産に関する情報を入手することが極めて困難になります。
別居を考えている場合は、まず通帳やキャッシュカード、銀行からの郵便物を確認しましょう。
また、課税証明書は同居中なら市区町村役場で取得できますが、別居後は取得できなくなります。
生命保険の証券、不動産の登記簿謄本、車検証なども可能な限り確保しておきましょう。
別居後の開示請求の方法
別居後は、まず調停の中で、相手方に財産の開示を求めることができます。裁判所も協力を促してくれるため、多くの場合はここで開示されます。
開示を拒否する場合は、審判や訴訟に進み、裁判所に文書提出命令や調査嘱託を申し立てることになります。
ただし、調査嘱託は「どの金融機関か」を特定する必要があるため、別居前の情報収集が重要になるのです。
弁護士に依頼すれば、弁護士会照会(23条照会)で金融機関等に照会することも可能です。
証拠の客観性が勝敗を分ける
本件で妻側の経済的DV主張が認められず、慰謝料・損害賠償請求が棄却されたのは、提出した証拠の信用性に問題があったことです。
家計簿の「夫から1万円しか渡されなかった」という記載が、筆跡や内容から「後から追記したもの」と疑われ、証拠として採用されませんでした。
一方、夫側が提出した銀行の通帳記録は、改ざんできない客観的証拠として高く評価されました。
後から作成した証拠は通用しない
感情的な記述が多いメモや、後から作成・追記したと疑われる資料は、証拠としての価値が低くなります。
本件でも、妻は膨大なメモやノートを提出しましたが、裁判所は「控訴人の憶測や感情がない交ぜになった主観性の強い内容であって、客観的な裏付けもない」として採用しませんでした。
経済的DVを立証するための証拠
経済的DVの立証には、客観性・同時性・具体性を備えた証拠の確保が極めて重要です。
銀行通帳のコピーや家計簿、生活費が不足していたことを示す証拠、相手方からのメールやLINEなどは、いずれも客観的証拠や間接事実として証拠価値を持ちます。
記録をつけるなら、その日のうちに記録すること、事実を客観的に書くこと、日付・時刻・場所・相手の言動を詳細に残すことが重要です。
リアルタイムで作成された証拠は、後から作成された証拠よりも証拠価値が高いとされています。
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婚姻費用分担義務と収入開示
婚姻費用分担義務(民法760条)は、同居中だけでなく、別居中であっても継続します。収入の多い方が少ない方に対して、生活を維持できるだけの費用を分担する義務があります。
婚姻費用を適正に算定するためには、双方の収入を明らかにする必要があります。しかし、法律上、給料明細の開示義務までは明文化されていません。
実務上は、以下の流れで進みます。
- 調停での任意開示
- 審判での文書提出命令
- 推計
調停では、調停委員が双方に源泉徴収票や給与明細などの収入資料の提出を求めます。多くの場合、ここで開示されます。
開示を拒否する場合、家庭裁判所が文書提出命令を出すことがあります。正当な理由なく従わない場合は、20万円以下の過料に処せられることがあります。
それでも開示されない場合は、賃金センサスという統計上の平均賃金などを用いて推計します。
悪意の遺棄と婚姻を継続し難い重大な事由
本件では直接問題となりませんでしたが、給料を見せない、生活費を渡さないといった行為が、法定離婚事由に該当するかについても触れておきます。
悪意の遺棄(民法770条1項2号)
「悪意の遺棄」とは、正当な理由なく、夫婦の同居・協力・扶助義務に違反することをいいます。
悪意の遺棄の典型例
- 正当な理由なく家を出て別居を続ける
- 生活費を渡さない
- 暴力や虐待等により配偶者を家から追い出す
- 性交拒否・精神的無視・虐待等により配偶者として扱わない
ただし、本件のように月20~30万円が渡されており、婚姻費用分担義務が果たされている場合は、「悪意の遺棄」には該当しません。
婚姻を継続し難い重大な事由(民法770条1項5号)
本件では、12年間の別居期間があり、双方が離婚を求めていることから、「婚姻を継続し難い重大な事由」が認められました。
給料明細を見せない、生活費が不足しているといった事情だけで直ちに離婚が認められるわけではありませんが、家計管理を巡る対立が長期間続き、信頼関係が損なわれて婚姻が破綻した場合、この離婚事由に該当する可能性があります。
本件でも「婚姻破綻の原因については、日常生活における様々な出来事の積み重ねによって、次第に信頼関係が損なわれて亀裂が拡大した状況がうかがわれ、それぞれに相応の責任がある」と判断されました。
🗨️ よくある質問
Q.夫が給料明細を見せてくれません。どうすれば収入を知ることができますか?
夫が給料明細を見せてくれない場合でも、源泉徴収票や課税証明書など他の資料で収入を把握できる場合があります。
まずは話し合いで開示を求めることをおすすめします。「将来の教育費や住宅購入のために家計を見直したい」など、建設的な理由を示すことが重要です。
話し合いが難しい場合は、家庭裁判所の調査嘱託や情報開示命令などの法的手段を検討しましょう。
Q.生活費は渡されていますが、金額が適正か分かりません。どう判断すればいいですか?
生活費が適正かどうかは、夫の収入、家族構成、住居費の負担状況などから判断します。家庭裁判所の「婚姻費用・養育費算定表」を参考にすると良いでしょう。
Q.夫が財産を隠しているのではないかと疑っています。どう調査すればいいですか?
財産隠しの疑いがあるなら、通帳に大きな出金がないかチェックしましょう。親族名義での隠匿や、生活レベルと預金残高が釣り合わないといった兆候が見られたら、弁護士に相談して徹底的な調査を依頼することをお勧めします。
本件で妻が主張した「夫が隠匿している1000万円超の財産」については、明確な証拠がなく認められませんでした。具体的な根拠や証拠をもとに適切な調査手段を講じることが重要です。
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高校卒業後、日米でのフリーター生活を経て、旧司法試験(旧61期)に合格し、アトム法律事務所を創業。全国15拠点を構えるアトム法律グループの代表弁護士として、刑事事件・交通事故・離婚・相続の解決に注力している。
一方で「岡野タケシ弁護士」としてSNSでのニュースや法律問題解説を弁護士視点で配信している(YouTubeチャンネル登録者176万人、TikTokフォロワー数69万人、Xフォロワー数24万人)。
保有資格
士業:弁護士(第二東京弁護士会所属:登録番号37890)、税理士、弁理士
学位:Master of Law(LL.M. Programs)修了
