一度も同居せず別居した夫婦に月6万の婚姻費用が認められた事例 #裁判例解説

「週末婚を繰り返して、新居の鍵まで受け取っていたのに、突然同居を拒否されたんです。それなのに生活費を払えと言われて」
夫の代理人弁護士は、複雑な表情で裁判官を見つめた。一方、妻側の弁護士は毅然として反論する。
「婚姻届を出した以上、同居の有無にかかわらず扶助義務は発生します。毎週末を共に過ごし、結婚式の準備も進めていた。これは立派な婚姻関係です」
婚姻届を出してわずか2か月。一度も同居することなく別れた夫婦に、果たして婚姻費用の支払義務はあるのか。
※東京高判令和4年10月13日(令和4年(ラ)1604号)をもとに、構成しています
この裁判例から学べること
- 婚姻届提出後、一度も同居していなくても婚姻費用分担義務は発生する
- 週末婚など定期的に会っていれば婚姻関係の実態が認められる
- 婚姻関係破綻の責任が一方だけにあると明確でなければ減額されない
- 婚姻費用は調停申立時に遡って請求できる
婚姻費用とは、夫婦のうち収入の少ない側から、収入が多い側に対して請求できる生活費のことです。
衣食住の費用のほか、医療費、子どもの出産・養育・教育に関する費用、相当の交際費など、夫婦が共同生活をおくるうえで必要な費用が含まれると考えられています。
では、結婚してから一度も同居していない別居中の夫婦でも、婚姻費用の分担請求は認められるのでしょうか。
今回ご紹介する裁判例は、婚姻当初から別居している妻から、夫に対する婚姻費用の分担請求が認められた事例です。
この判決は、婚姻費用分担義務が婚姻という法律関係から生じるものであり、同居という事実状態から生じるものではないことを明確に示しています。
別居中の配偶者から生活費をもらいたい方は必見の裁判です。
📋 事案の概要
今回は、東京高等裁判所令和4年10月13日決定(令和4年(ラ)1604号)を取り上げます。
この裁判は、結婚してから一度も同居していない別居中の妻が、夫に対して、婚姻費用の分担請求をおこなう家事調停を申立て、その後、審判に移行した事案です。
- 当事者:
原告(妻):当時37歳、行政書士業
被告(夫):当時41歳、会社員 - 請求内容:
婚姻費用として月額の生活費の支払を求める
🔍 裁判の経緯
「知り合って半年で婚約して、その2か月後には入籍したんです」
妻は令和2年1月から頻繁に会うようになった男性と、同年6月に交際を開始すると同時に婚約。
そしてわずか2か月後の同年8月13日には婚姻届を提出しました。
「結婚式場を一緒に探して、ウエディングドレスも購入しました。新居も見つかって、10月17日から入居予定だったんです」
婚姻届提出の前後から、二人は連絡を密に取り合い、結婚式の準備を進めていました。9月には希望の賃貸物件が見つかり、10月17日入居予定で契約。鍵も受け取り、家財を搬入するなど同居に向けた準備を着々と進めていたのです。
夫は勤務先の関係者に結婚を報告して祝福を受け、妻も役所で会った税理士に結婚を報告していました。
「入籍してすぐには同居しなかったけど、毎週末は必ず一緒に過ごしていました。週末婚とか、何回目の新婚旅行だとか言いながら」
婚姻届提出後、二人はすぐに同居はしませんでしたが、毎週末ごとに必ずホテルに泊まり、名所を巡り食事をするなど、共に時間を過ごしていました。10月9日には「最後の週末婚」と称して妻が夫の部屋に泊まり、10月11日まで一緒に過ごしました。
「でも10月12日、予定していた同居の直前になって、突然拒否されたんです」
妻は、夫の支配欲や、夫婦観・人生観の違いを感じ、夫との同居を拒否。夫は妻の浮気を疑う発言を繰り返し、携帯電話から男性の電話番号の登録を抹消するよう妻に要求したり、結婚後は家事を完璧にこなすよう言いつけたりしていたのです。
10月14日には夫に対して「別居している配偶者にも生活費を渡す義務があるよ。毎月お願いします」とメールを送信し、生活費の支払を要求。以後、二人は会わなくなりました。
「納得できませんでした。一度も同居していないのに、なぜ生活費を払わなければならないのか」
夫は婚姻費用の支払を拒否しましたが、賃貸物件の解約に約40万円を支出するとともに、妻に対して1度だけ10万円を送金。それ以降、追加の支払はありませんでした。
妻は令和3年4月14日に婚姻費用分担請求調停を申し立て、一方で夫からも令和3年7月2日にいわゆる円満調停が申し立てられました。
しかし、妻が両方の調停を欠席したことにより、令和4年3月22日、調停は不成立となり、自動的に審判手続に移行しました。
原審の横浜家庭裁判所は妻の申立てを却下しましたが、妻はこれを不服として東京高等裁判所に即時抗告したのです。
※東京高判令和4年10月13日(令和4年(ラ)1604号)をもとに、構成しています
⚖️ 裁判所の判断
判決の要旨
東京高等裁判所は、原審判を取り消し、夫に対して婚姻費用の支払を命じました。
裁判所は「婚姻費用分担義務は、婚姻という法律関係から生じるものであって、夫婦の同居や協力関係の存在という事実状態から生じるものではない」と明確に述べ、一度も同居していない場合でも婚姻費用分担義務は発生すると判断しました。
主な判断ポイント
1. 婚姻関係の実態と婚姻費用分担義務の根拠
夫は「一度も同居していないのだから婚姻関係の実態がない」と主張しましたが、裁判所はこれを退けました。
互いに婚姻の意思をもって婚姻届を出し、披露宴や同居生活に向けた準備を進め、勤務先の関係者にも結婚を報告し、週末婚と称して毎週末ごとに生活を共にしていた事実から、「婚姻関係の実態がおよそ存在しなかったということはできず、婚姻関係を形成する意思がなかったということもできない」と認定しました。
そして、たとえその後婚姻関係が破綻したと評価される状態に至ったとしても、法律上の扶助義務が消滅することはないと判断したのです。
2. 婚姻関係破綻の原因は妻だけにあるとは言えない
夫は、妻に同居する意思がなく、同居を拒否したのは妻の責任であると主張しましたが、裁判所は「婚姻関係破綻の原因が専ら又は主として抗告人(妻)にあると認めるに足りる的確な資料はない」と判断。
妻が同居を拒否するに至るまでの婚姻関係や拒否の理由を前提とする限り、破綻の原因を妻のみに求めることはできないとしました。
3. 婚姻費用の算定は改定標準算定方式による
裁判所は、婚姻費用の分担額について、改定標準算定方式(司法研究報告書第70輯第2号)に基づいて算定するのが相当であるとし、諸事情を考慮して月額6万円が相当と判断しました。
また、婚姻費用の始期については、妻が調停を申し立てた令和3年4月とするのが相当であるとし、過去分として18か月分の108万円の支払も命じました。
👩⚖️ 弁護士コメント
調停から審判への流れ
本件では、妻が両方の調停を欠席したため調停は不成立となりました。
夫が円満調停を申し立てたということは、同居を求められるのは目に見えていますし、別居中の妻の生活費を負担してくれる見込みは低いでしょう。
また、妻には同居する意思がありませんから、調停で話し合いをしたとしても、夫婦が合意できる解決策は見つからない可能性は高そうです。
そのため、調停は、妻が欠席しなかったとしても、いずれ不成立となったのではないでしょうか。
婚姻費用分担調停が不成立になった場合、自動的に審判手続に移行します。
まずは、家庭裁判所で審判がおこなわれ、その結論に不服がある場合は、2週間以内に不服申し立て(即時抗告)をおこなえば、高等裁判所で再度審判を受けることができます。
本件では、家庭裁判所では婚姻費用の分担請求が認められなかったため、妻が即時抗告をおこないました。高等裁判所の判断では、婚姻費用の分担請求が認められました。
婚姻費用分担義務の本質
この判決が示した「婚姻費用分担義務は婚姻という法律関係から生じる」という考え方は、婚姻費用制度の本質を理解する上で非常に重要です。
夫婦には、夫婦であるがゆえに、パートナーの生活を自分と同じ生活水準で経済的に支えるべき法律上の義務があります。
(同居、協力及び扶助の義務)
民法
第七百五十二条 夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならない。
(婚姻費用の分担)
民法
第七百六十条 夫婦は、その資産、収入その他一切の事情を考慮して、婚姻から生ずる費用を分担する。
民法752条の同居義務、協力義務、扶助義務は、同居して協力することを前提に、相手方配偶者を養う義務(扶助義務)が発生するという関係性ではなく、それぞれ独立して考えます。
本件の高等裁判所の言葉を借りれば、「婚姻費用の分担義務は、婚姻という法律関係から生じるものであって、夫婦の同居や協力関係の存在という事実状態から生じるものではない」ということです。
本件では、婚姻届を提出した以上、たとえ一度も同居していなくても、法律上の婚姻関係が成立している限り、婚姻費用分担義務は発生するという原則が明確に示されました。
婚姻関係の実態の評価
本件で注目すべきは、裁判所が婚姻関係の実態を丁寧に認定している点です。
一度も同居していないという事実だけを見れば、婚姻関係の実態がないように思えるかもしれません。
しかし裁判所は、婚姻届提出後も互いに連絡を密に取り、結婚式や同居の準備を進め、職場の関係者にも報告し、毎週末を共に過ごしていたという事実関係を重視しました。
これらの事実から、二人には婚姻関係を形成する意思があり、婚姻関係の実態も存在していたと評価したのです。
週末婚という形態も、現代社会では珍しくない夫婦のあり方として認められました。
有責配偶者からの請求について
本件で裁判所は、「婚姻関係の破綻について専ら又は主として責任がある配偶者」(有責配偶者)が、婚姻費用の分担を求めることは信義則違反となり、その結果、婚姻費用の分担請求が認められない場合や、請求額よりも減額される場合があると述べています。
同居の拒否は、離婚原因の「悪意の遺棄」(民法770条1項2号)に当たることがあり、その場合、別居を続ける者が有責配偶者になります。
本件では、妻が同居を拒否する有責配偶者にあたるから、信義則違反となり、婚姻費用の分担請求は認められないという見方もあるかもしれません。
実際に夫は、「妻と一度も同居したことがなく、婚姻後は数えるほどしか直接会ったことがなく、健全な婚姻生活を送っていたとはいえない。そして、その原因は同居を拒んだ妻にあるから、自分は婚姻費用分担義務を負わない」といった趣旨の反論をしています。
しかし、裁判所は、仮に二人の婚姻関係が破綻した状態に至っていたとしても、妻が同居を拒否するまでの夫婦の関係性や、妻が同居を拒否した理由などを考慮して、妻のみに婚姻関係破綻の原因があるとは判断しませんでした。
調停や審判では、自分の主張を裏付ける資料を提出する必要があります。
本件では、夫側から妻の有責性を裏付ける的確な資料の提出があれば、結果は変わっていたかもしれません。
有責性の判断は、単に「誰が別居を切り出したか」だけで決まるのではなく、それに至る経緯や双方の言動など、総合的な事情を考慮して判断されます。
📚 関連する法律知識
婚姻費用分担請求権
婚姻費用とは、夫婦が婚姻生活を維持するために必要な一切の費用をいいます。
婚姻費用を請求することを、実務では、婚姻費用分担請求と呼んだりします。
民法760条により、夫婦はその資産、収入その他一切の事情を考慮して、婚姻から生ずる費用を分担する義務があります。
この義務は、夫婦の他方に自己と同程度の生活を保障する「生活保持義務」であり、別居中であっても消滅しません。
収入の多い配偶者は、収入の少ない配偶者に対して、婚姻費用を分担する義務を負います。
婚姻費用の始期と終期
始期について
婚姻費用分担義務の始期(いつから支払義務が生じるか)は原則として請求した時点です。本件でも、妻が調停を申立てた令和3年4月を始期としています。
通常は、婚姻費用分担の調停や審判を申し立てた時点が基準になりますが、内容証明郵便やメールなどで明確に請求の意思を示していれば、その時点が始期と認められることもあります。
婚姻費用が認められるのは、通常、請求した時点以降です。別居後に請求が遅れると、その期間は払ってもらえないおそれがあるため、早めの手続きが重要です。
終期について
婚姻費用の分担期間の終期は、通常、離婚または別居状態が解消するまでとなります。
というのも、離婚が成立すれば夫婦ではなくなるので、婚姻から生じる費用を負担する義務もなくなります。
また、別居状態が解消され同居するようになれば、普通なら家計が別々になることもないので、あえて婚姻費用の分担を請求する必要性がなくなるからです。
本件でも、婚姻費用を請求できる期間の終期は、離婚または別居状態が解消するまでと裁判所は判示しました。
改定標準算定方式と算定表の使い方
婚姻費用として請求できる金額(婚姻費用の分担額)は、改定標準算定方式にもとづいて検討することが多いでしょう。
たしかに、夫婦の間で任意に金額を設定することも可能ですが、基準があったほうが当事者も婚姻費用の分担額に納得しやすいですし、裁判所を利用する手続きではおよそ改定標準算定方式が用いられます。
ご自身の収入と相手方配偶者の収入の金額を算出し、改定標準算定方式を用いて、多い方が少ない方に対して負担すべき婚姻費用を計算します。
夫婦それぞれの年収、自営業か給与所得者か、子どもの有無・人数が分かれば、算定表を使って、すぐに婚姻費用の相場を確認することができます。
この改定標準算定方式による標準算定表は、裁判所のホームページで公開されています。
本件の場合は「(表10)婚姻費用・夫婦のみの表」を用いて、婚姻費用を算出することになります。
給与収入は妻が年額約102万円、夫が年額約536万円でしたので、算定表によれば、婚姻費用の分担額の目安は1か月当たり6万円から8万円の範囲となります。
🗨️ よくある質問
Q. 同居していない夫婦でも婚姻費用を請求できますか?
請求できます。別居中であっても、婚姻関係が継続している限り、収入の多い配偶者は少ない配偶者に対して婚姻費用を分担する義務があります。
本判決は、一度も同居していない場合でも婚姻費用分担義務が発生することを明確に示しています。
Q. 別居の原因を作った側からでも婚姻費用を請求できますか?
別居の原因が自分にある場合(有責配偶者)は、信義則違反として請求が認められなかったり減額されたりする可能性があります。
ただし、本件のように、破綻の原因が一方だけにあるとは言えない場合や、有責性の程度が明確でない場合には、通常どおり請求が認められます。
個別の事情により判断が異なるため、弁護士に相談することをお勧めします。
Q. 婚姻費用はいつから請求できますか?
婚姻費用の分担が認められるのは、通常、請求時以降です。
本件においても、裁判所は、婚姻費用分担調停を申立てた令和3年4月を、婚姻費用を分担する期間の始期としました。
別居後すぐに請求しなかった場合、請求前の期間については支払義務が認められない可能性があるため、別居したら速やかに調停を申し立てるなど、請求の意思を明確にすることが重要です。
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高校卒業後、日米でのフリーター生活を経て、旧司法試験(旧61期)に合格し、アトム法律事務所を創業。全国15拠点を構えるアトム法律グループの代表弁護士として、刑事事件・交通事故・離婚・相続の解決に注力している。
一方で「岡野タケシ弁護士」としてSNSでのニュースや法律問題解説を弁護士視点で配信している(YouTubeチャンネル登録者176万人、TikTokフォロワー数69万人、Xフォロワー数24万人)。
保有資格
士業:弁護士(第二東京弁護士会所属:登録番号37890)、税理士、弁理士
学位:Master of Law(LL.M. Programs)修了
