離婚協議書どおりに高額な財産分与が認められた事例 #裁判例解説

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離婚協議書

「これは夫婦関係を修復するための書類です。お父さん、署名してください」

長女の言葉に促され、夫は目の前に並べられた書類に次々と署名していった。離婚協議書、離婚届、不動産の登記書類。

それから数か月後、この問題は法廷に持ち込まれた。

「私は内容を確認していません。あれは関係修復のための反省文だと思っていました」

夫はこう主張したが、裁判官は静かに首を振った。

「離婚届に住所や本籍を記入し、『登記原因証明情報』『財産分与』と明記された書類に署名した方が、これを反省文だと信じていたとは認められません」

500万円の慰謝料、3500万円超の財産分与金、1億円を超える自宅の所有権移転。夫が「知らなかった」と主張した協議書は、すべて有効と判断された。

※東京地判令和3年8月13日(令和1年(ワ)20698号)をもとに、構成しています

この裁判例から学べること

  • 離婚協議書に署名すると「内容を知らなかった」という主張は通らない
  • 特有財産も財産分与の対象にできる
  • 協議書作成後の食事や旅行程度では「夫婦関係の修復」とは認められない
  • 離婚協議書は法的拘束力が強く、覆すことは困難

離婚協議書は、慰謝料や財産分与、子どもの養育費など、離婚に伴う取り決めを文書化した重要な契約書です。一度署名してしまうと、その内容を覆すことは難しいです。

今回ご紹介する裁判例は、整形外科医の夫が「夫婦関係を修復するための書類だと思っていた」と主張したものの離婚協議書の効力がすべて認められた事案です。

この事例を通じて、離婚協議書の法的拘束力の強さと、署名する際の慎重さの重要性を学んでいきましょう。

📋 事案の概要

今回は、東京地判令和3年8月13日(令和1年(ワ)20698号)を取り上げます。この裁判は、離婚した妻が元夫に対し、離婚協議書に基づいて慰謝料や財産分与の履行を求めた事案です

  • 当事者
    原告(元妻)
    :長女と二女の2人の子どもの母親。離婚後は元夫が相続した自宅に居住
    被告(元夫):整形外科医。相続で取得した土地建物でクリニックを経営
  • 婚姻期間:平成2年6月9日に婚姻。平成31年2月27日に離婚(婚姻期間約29年)
  • 請求内容:離婚協議書に基づく慰謝料500万円、財産分与金3599万2386円、自宅不動産の所有権移転登記、車両使用権の確認、登記費用195万8841円、二女の留学費用240万円の支払い

🔍 裁判の経緯

平成30年9月頃、妻は夫がクリニックの看護師と不貞関係にあることを知った。発覚後まもなく、夫婦は離婚の可能性を見据えて、財産分与について具体的な話し合いを行った。

その際、自宅、クリニックの土地建物、自動車、ヨットなど、具体的な財産を挙げて議論がなされた。この会話が、後の離婚協議書の土台となる。

平成30年11月、妻は離婚協議書を用意し、長女と二女の前で夫に署名を求めた。協議書には以下の内容が記載されていた。

  • 慰謝料500万円の支払い
  • 金融資産約3600万円の支払い
  • 相続で取得した自宅不動産の財産分与
  • 車両の使用権
  • 二女の留学費用として毎月15万円の支払い

夫は協議書だけでなく、離婚届、不動産の登記原因証明情報、委任状にも署名した。離婚届には住所、本籍、父母の氏名まで正確に記入されていた。

しかし、長女が離婚に強く反対していたこともあり、妻は「娘たちに免じて待つ」と述べて、協議書や離婚届を長女に預け、すぐには離婚届を提出しなかった。

その後約3か月間、夫婦は同じ自宅で生活を続け、食事や長女の交際相手も含めた家族旅行を共にし、メッセージのやり取りも通常の夫婦のようだった。

ところが平成31年2月、夫と子らの間で口論・揉み合いとなり、これをきっかけに妻は子らの了解を得て離婚を決意した。その後まもなく、妻は夫に離婚手続きを進める旨を伝えたが、夫は異論を述べなかった。

同年2月、妻は協議書作成から約3か月後に離婚届を提出し、離婚が成立した。

しかし離婚後も、夫は協議書に記載された慰謝料や財産分与などの支払いを一切履行しなかった。このため、妻は協議書に基づく慰謝料、財産分与、自宅不動産の所有権移転、留学費用などの履行を求めて提訴した。

※東京地判令和3年8月13日(令和1年(ワ)20698号)をもとに、構成しています

⚖️ 裁判所の判断

判決の要旨

裁判所は、元夫の主張をすべて退け、元妻の請求を全面的に認めました。裁判所は次のように述べています。

「各文書の表題やその内容からすれば、正に、離婚することを前提とし、そのために必要な文書であって、反省文又は原被告間の夫婦関係を修復するための書類でないことは明らかである」

主な判断ポイント

1. 協議書の真正な成立について

裁判所は、元夫が協議書の内容を認識して署名したと認定しました。

その理由として、元夫は離婚協議書だけでなく、離婚届、「登記原因証明情報」と題する書面、委任状にも署名しており、これらの文書の表題や内容から、離婚を前提とした書類であることは明らかと指摘しました。

「睡眠薬と飲酒で酩酊状態だった」という主張についても、元夫は署名した当時の状況を記憶しており、離婚届の住所、本籍、父母の氏名欄なども正確に記載していること、字体も特に乱れていないことから、判断能力に大きな影響はなかったと判断しました。

さらに、「夫婦間で協議がなかった」という主張についても、少なくとも平成30年9月頃に、離婚する場合の財産分与について、自宅、クリニック、自動車、ヨットなど具体的な財産を挙げて話題となっていたことから、協議がなかったとは認められないとしました。

2. 錯誤の主張と財産分与の内訳

元夫は「相続で取得した自宅(特有財産)が財産分与の対象になると知らなかった」と主張しましたが、裁判所はこれを退けました。

本件の財産分与の内訳は以下のとおりです。

財産の種類夫の取得妻の取得
夫名義の預貯金(2200万円余り)×
有価証券(2700万円余り)1/21/2
自動車(2台)1台1台
自宅不動産(夫の特有財産)×
妻名義の預貯金(1500万円余り)×
クリニック(土地建物)×
その他預貯金(3300万円余り)×

クリニックは収入源であるため、夫が保持する一方、代わりに自宅不動産を妻に分与することで公平を図りました。

全体として夫婦の財産を概ね2分の1ずつ取得する結果となっており、裁判所は当時、夫がこれを承諾することが不自然・不合理とまではいえないと判断しました。

3. 詐欺について

元夫は「妻が『これでもあなたの持っている半分もいかないです』と言って欺いた」と主張しましたが、裁判所はこの発言をもって、特有財産が対象に含まれるかのように装ったとは認められないとしました。

そもそも原告と被告は、家庭裁判所における一般的な取扱いに則って財産分与契約を締結することを前提としていなかったので、原告に被告を欺く意図があり、被告が誤信したとも認められないと判断しました。

4. 黙示的解約について

「協議書作成後、食事や旅行をして関係が修復していた」という元夫の主張も認められませんでした。

これらの行動だけでは夫婦関係が修復したとまではいえず、実際に3か月後には離婚が成立していることから、黙示的に協議書が解約されたとは認められないとされました。

👩‍⚖️ 弁護士コメント

離婚協議書の法的拘束力

離婚協議書は契約書としての効力を持ち、当事者間の合意内容を証拠として残す重要な役割を果たします。署名押印した後に「内容を知らなかった」「確認していなかった」という主張は原則として通りません。

本件では、元夫が「長女から夫婦関係を修復するための書類だと言われた」と主張しましたが、裁判所は認めませんでした。たとえ誰かから「関係修復のため」と説明されたとしても、書類の表題や内容(離婚協議書、離婚届、登記原因証明情報など)を見れば、それが離婚を前提とした書類であることは明らかだからです。

離婚協議書に署名する際は、必ず内容を確認し、不明な点があれば弁護士などの専門家に相談することが重要です。

特有財産と財産分与

家庭裁判所の調停や審判では、夫婦が婚姻中に協力して形成した財産(共有財産)を分与するのが原則で、相続や贈与で取得した財産(特有財産)は分与の対象にならないのが通常です。

しかし、夫婦間の合意では、特有財産を財産分与の対象とすることも可能です。

本件でも、夫が相続で取得した自宅を妻に分与する内容となっていましたが、裁判所は「夫婦間において、特有財産を分与したり、一方が他方より多くの財産を取得したりする内容の財産分与を合意することはもとより可能」と述べ、その有効性を認めました。

ただし、このような合意をする場合は、その意味を十分理解することが不可欠です。特に高額な財産が関わる場合は、必ず弁護士に相談すべきでしょう。

協議書作成後の「やり直し」の困難さ

本件で注目すべきは、協議書作成後も夫婦が一緒に食事をしたり旅行に行ったりしていたにもかかわらず、裁判所が「夫婦関係が修復した」とは認めなかった点です。

離婚協議書は一度成立すると、その後の行動で「黙示的に解約された」と認められるハードルは非常に高いのです。本当に夫婦関係を修復したいのであれば、協議書を明示的に破棄するなど、明確な行動が必要です。

公正証書化のメリット

離婚協議書を作成する際は、さらに一歩進んで「強制執行認諾文言付き公正証書」にすることを強くお勧めします。

本件では、被告が支払いを履行しなかったため、原告は裁判を起こして判決を得る必要がありました。

しかし、最初から公正証書にしておけば、相手が支払わない場合に裁判を経ずに直接強制執行の手続きに着手できます。これにより、時間と費用を大幅に節約でき、財産が散逸する前に回収できる可能性が高まります。

公正証書は公証役場で作成してもらうもので、離婚協議書を案文として持ち込めば、公証人が法的に有効な形式に整えてくれます。

📚 関連する法律知識

離婚協議書とは

離婚協議書は、協議離婚する夫婦が、慰謝料、財産分与、子どもの親権や養育費などについて合意した内容を文書化したものです。法的には契約書の一種であり、署名・押印することで法的拘束力を持ちます。

特に公正証書にすることで、金銭の支払いについては、相手が支払わない場合に裁判を経ずに強制執行できるという大きなメリットがあります。

強制執行認諾文言付き公正証書

離婚協議書の内容を確実に実現するための最も有効な手段が、強制執行認諾文言付き公正証書の作成です。

公正証書とは、公証人が作成する公文書で、高い証明力を持ちます。強制執行認諾文言が入った公正証書があれば、相手が支払わない場合に裁判を起こすことなく、直接強制執行の手続きに着手できます。

本件のように相手が支払いを拒否した場合、公正証書があれば、銀行預金の差押えや給与の差押えなど、直ちに強制執行の手続きに移行できます。高額な財産分与や慰謝料が関わる場合は、公正証書化をおすすめします。

財産分与の対象

財産分与の対象となるのは、原則として夫婦が婚姻中に協力して形成した財産(共有財産)です。

婚姻前から所有していた財産や、婚姻中に相続・贈与で取得した財産(特有財産)は、原則として対象外です。

ただし、本件のように、夫婦間の合意で特有財産を分与の対象とすることは可能です。また、特有財産であっても、配偶者の協力によって維持・増加した部分については、財産分与の対象となる場合があります。

錯誤と意思表示

錯誤とは、意思表示をする際に、その内容について勘違いをしていた場合のことです。民法では、錯誤があった場合、一定の要件のもとで意思表示を取り消すことができます

ただし、錯誤があったとしても、それが動機の錯誤(意思表示をするに至った動機についての錯誤)である場合は、その動機が相手方に表示されていることが必要です。また、錯誤に陥ったことについて重大な過失があった場合は、原則として取り消すことができません。

本件では、元夫が財産の調査を一切せずに署名したことから、重大な過失があると判断されました。

詐欺による取消し

詐欺とは、だまされて錯誤に陥り、意思表示をしてしまった場合のことです。錯誤と異なり、相手方に「だます意図」があることが必要です。

本件でも、元夫は「妻が『これでもあなたの持っている半分もいかないです』と言って欺いた」として、詐欺による取消しを主張しました。

しかし、裁判所は、特有財産を分与したり2分の1を超える割合で分与することは夫婦間の合意では可能であり、そもそも家庭裁判所の一般的な取扱いを前提としていたとはいえないことから、元妻にだます意図があったとは認められないと判断しました。

錯誤と詐欺の違いは、相手方に「だます意図」があったかどうかです。錯誤は自分の勘違いですが、詐欺は相手にだまされた場合です。ただし、いずれも立証のハードルは高く、契約後に取り消すことは容易ではありません。

権利濫用の法理

権利濫用とは、形式的には正当な権利であっても、その行使が社会的に許容される限度を超える場合、権利の行使が認められないという法理です(民法1条3項)。

本件でも、元夫は、「協議書の内容やその成立過程のほか、離婚届提出前に内容の確認を求めたのに、これに応じることなく離婚届けを提出したことなどからすれば、本件請求は権利の濫用にあたる」と主張しました。

これに対して、裁判所は、「協議書に基づく本件合意の内容や成立過程に不自然、不合理な点はなく、被告はその内容を認識していたと認められるのであるから、原告による本件合意に基づく請求が権利濫用に当たるとは認められない」と述べました。

権利濫用が認められるのは、権利行使が著しく不当で、社会的に許容できない場合に限られます。単に「不利な契約だった」「もっと確認すべきだった」というだけでは、権利濫用は認められません。

仮執行宣言

仮執行宣言とは、判決が確定する前でも強制執行ができるようにする裁判所の宣言のことです。

通常、判決は控訴期間が経過しないと確定しませんが、仮執行宣言が付いていれば、判決が出た時点で強制執行に着手できます。これにより、相手が財産を隠したり散逸させたりする前に、迅速に回収できる可能性が高まります

本件では、慰謝料、財産分与金、登記費用、留学費用のすべての金銭請求について仮執行宣言が付けられました。ただし、自動車の使用権確認と不動産の所有権移転登記については、仮執行宣言は付けられませんでした。

🗨️ よくある質問

Q. 離婚協議書に署名する前に確認すべきことは何ですか?

まず、協議書の内容をすべて理解することが最も重要です。特に、財産分与の対象となる財産の範囲、金額、支払い方法、期限などを確認しましょう。

不明な点があれば、署名前に必ず弁護士に相談してください。また、自分と相手の財産を正確に把握し、分与の割合が適切かどうかも検討すべきです。

公正証書にする場合は、強制執行が可能になることも理解しておきましょう。

Q. 離婚協議書と公正証書の違いは何ですか?

離婚協議書は夫婦が自分たちで作成する私文書ですが、公正証書は公証人が作成する公文書です。

最大の違いは、強制執行認諾文言付き公正証書があれば、相手が支払わない場合に裁判を経ずに直接強制執行できる点です。本件では妻が裁判を起こす必要がありましたが、公正証書にしておけば時間と費用を大幅に節約できました。

作成費用は数万円程度ですが、高額な財産分与や慰謝料が関わる場合は、その価値は十分にあります。

Q. 離婚協議書を作成した後、関係が修復した場合はどうなりますか?

本件では、協議書作成後に夫婦が食事や旅行を共にしても、関係が修復したとは認められませんでした。

もし本当に関係を修復したいのであれば、協議書を明示的に破棄する書面を作成するなど、明確な行動が必要です。

曖昧な状態で離婚届が提出されてしまうと、本件のように協議書の効力が認められてしまう可能性が高いので注意が必要です。

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岡野武志弁護士

監修者


アトム法律事務所

代表弁護士岡野武志

詳しくはこちら

高校卒業後、日米でのフリーター生活を経て、旧司法試験(旧61期)に合格し、アトム法律事務所を創業。全国15拠点を構えるアトム法律グループの代表弁護士として、刑事事件・交通事故・離婚・相続の解決に注力している。
一方で「岡野タケシ弁護士」としてSNSでのニュースや法律問題解説を弁護士視点で配信している(YouTubeチャンネル登録者176万人、TikTokフォロワー数69万人、Xフォロワー数24万人)。

保有資格

士業:弁護士(第二東京弁護士会所属:登録番号37890)、税理士、弁理士

学位:Master of Law(LL.M. Programs)修了